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2007年10月30日 (火)

とりあえずなんとか

20071028_0 先週の木曜日は論文アドバイザーとの月例打ち合わせ。執筆はなかなか進まずに遅れ気味なのだが書く内容は大体固まってきたのでしばらくディスカッションした後で「後は頑張って文章を纏めればOKなんじゃない?」と言ってもらえた。
とりあえず予定通り帰国できる範囲に、なんとか居ることがわかって一安心。

とはいえ、どちらにせよほっと一息ついていられるわけではない。ゴールは視界に入ったものの制限時間内にそこまでたどり着けるかが勝負になってきたわけで、ばてないようにペース配分しながら全力疾走する予定。

もちろん勉強ばっかりしているわけではなくて合間を縫ってクラスメートや家族と遊ぶ時間も少しは取っている。Red Soxの優勝も見届けたし、来月はバスケ、12月はアメフトのスタジアムに足を運んで4大スポーツの観戦もグランドスラムして帰る予定。

というわけで、頻度は多少落ちるかもしれないけれど、プロジェクトマネジメントの話、イリジウムとグローバルスターの話、ボストンに仕事で来た職場の人の話、車の話、ハロウィーンの話、娘の話と書きたいことはいっぱいあるので徐々に紹介して行くのでお待ちください。

(写真は今日家族で散歩した公営グラウンド)

2007年10月24日 (水)

プロジェクトは何故計画通りに終わらないのか(その2)

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前回書いたようにプロジェクト計画には不確定要素が必ず含まれている。将来はいつも曖昧で、かくして世の中はサプライズに満ちているのだ。それではプロジェクトでサプライズが起こらないようにするにはどうするか。
根本的な解決方法はもちろん不確定要素をなるべく減らしておくことにある。部品の不良品率を下げていけばシステムの信頼度が上がるように、予測と見積もりの精度を上げていけばいくほどプロジェクトは計画通りに進むことになる。当たり前のことだ。
しかし、プロジェクト内部で頑張ればコントロールできることもあれば、ガソリンの取引相場や為替相場のように自分たちでコントロール出来ないこともある。自分たちでコントロールできなくてもコスト見積もりをするためには予想しなくてはならないし、その予想がプロジェクトの成否を分けることだって往々にしてある。

しかしいくら過去の傾向を見てもそれだけでは良い見積もりはできない。エンジニアや研究者なら誰でも知っていること「内挿はともかく外挿は危険」だからだ。つまり、過去と現在のガソリン価格の変動をある程度知った上であれば、その期間内のとある時点でのガソリン価格を予想する事は比較的優しい。9/11のような全く予測不可能な事件が起こらない限り、往々にして前後の傾向に沿っているからだ。一方で過去と現在のデータから将来のガソリン価格を予測するのは非常に難しい。

例えば地球の人口統計を表した2つのグラフを見て欲しい。左のグラフでは指数関数的に増えていると感じる人が多いと思うし、右のグラフではほぼ直線的に増えていると感じる人が多いのではないだろうか。同じグラフでもどの期間を取り出すかだけで印象は異なるし、判断を変えてしまうことになる。

もう一つは同じ傾向がずっと続くことは無いと言うこと。10年毎に8億人増えているからといって、100年後に地球の人口が140億人になっているとは思えない。ここ数ヶ月でガソリンの価格が毎月10%ずつ上がっているからといって、1年後に3倍になって10年後には今の9万倍の値段になっているなんて予想しても誰も信じないのと実は同じ事なのだ。

結果のデータだけを使っていては、どれだけ上手く期間を設定しても、どれだけ加重平均などの数学テクニックを使っても精度の良い見積もりは絶対に出来ない。世の中に変化がないようただ祈るのみだ。短期的にはともかく、長期的にはまずはずれる。

大事なのは変化に影響を与える要因を把握することだ。
物事には必ずそれを促進する要因と減退させる要因がある。それらを過去のデータを分析することで因果関係や影響度をつかんだ上で、今後の傾向を予測するとその確度は上がるし、変化に応じて後々の修正もしやすくなる。

もう気づいた人もいるかも知れないけれど、これはまさしくシステムダイナミクスの考え方そのものなのだ。
100%正しい予測なんてあり得ないし、世の中予想外の事が必ず起きる、それでも自分たちがどういう考え方に則って行動しているかを説明できれば、それを改善していく余地が生まれるし、データが増えるにつれてその精度が上がっていくことになる。

2007年10月23日 (火)

Good night, Cleveland!

20071022_1 毎朝駅で配られている無料のタブロイド紙の一面トップにはマウンドで抱き合う選手達の写真とこの文字が躍っていた。1勝3敗から怒濤の3連勝でアメリカンリーグを制したBoston Red Sox、今年は本当に強い。不調だった松坂選手も、チームメイトから精一杯のサポートを受けてそれに応えたし、それによってチームも一層団結して盛り上がっていった結果の勝利だったし、いいものを見せてもらった。今年ボストンにいることが出来て本当にラッキーだったと思う。

もちろんクラスメートや教授陣にもファンは多い。

ある授業では「あの宿題は今日の夕方6時が締め切りだったと思うけど、今日はゲームを観に行くから採点しないし明日の朝までに延ばす。」なんて教授もいた。もっとも一部のクラスメートからは「俺たちもサッサと終わらせてテレビで観たいから延ばさなくていいよ!」なんて声も返ってきた。
先週のビジネストリップ中に開催された入学希望者&新入生向けの説明会後の懇親会ではケーブルテレビの配線とプロジェクターを会場に持ち込んで「Red Sox応援懇親会」に急遽変更。

残念ながらワールドシリーズのチケットは徹夜で当日券に並ぶか、定価の数十から数百倍の値段を覚悟で公認ブローカーから購入するかしか無い。なにより時間が無いので球場に足を運ぶのは無理だけれど少しはTVの前で娘と一緒にRed Soxを応援する時間をとりたい。

Go Sox! Go Daisuke!

(写真はアメリカンリーグ制覇の記念キャップ)

2007年10月20日 (土)

縦と横

20071019_1 アメリカやヨーロッパの人たちは何か課題や問題に直面したときに、それを出来るだけ細かく分解しようとすると同時に、その問題が上位の何に起因しているかを個別につないでいく傾向があるように思う。その結果、最上位の課題や問題から下位にどんどん分岐していくツリー構造ができあがることになる。
実際にアメリカ人と一緒に勉強していると、課題を適当に列挙した後は個々に"why?"を繰り返して上下の階層に広げていこうとする傾向が強い。その反面、同じ階層にある課題同士の関係を詳細に考察したり関連づけたりすることはあまり興味がない。あくまで上に遡って上位の階層で関連づけようとする。同じ階層にあるものは出来るだけ分離して関係をシンプルにしたがる傾向がある。物事を出来るだけ縦のつながりで考えるというわけだ。

一方で、日本人は課題や問題に直面したときに、それに関連する事柄を出来るだけ集めてその関係を紐解こうとする傾向があると思う。つまり、下手をするとあまり階層がどうとか考えずに全ての違う階層の事象を一緒くたに扱って、それぞれの関係を分析したがるということだ。よしんば物事を階層的に綺麗に捉えられたとしても、個々の事象をツリー構造状に結びつけるよりも同じ階層の物同士を関係づける事に注力しがちだと思う。物事は横の関係で考える。

どちらにも善し悪しがあって、上に述べた欧米式の考え方では1つの階層に注目してみると、個別の物事同士の関係を協調させて考えるのが難しくその階層を最適化するのは難しいし、まとまりが無くなって細部にボロボロと問題が出てくる危険性がある。
日本式の考えでは、個々の階層は綺麗に最適化する事が出来ても、上位下位の階層との結びつきが曖昧になってしまって物事の本質を見失ってしまったり、個々の関係は明確でも全体としてバランスが悪くなってしまう危険性がある。

もちろん全てがこれに当てはまるわけではないけれど、自分の経験を元に考えるとこの傾向はあながち間違っていないんじゃないかと思う。
とある教授によると欧米で見られる「縦」の関係重視は16世紀のイタリアのルネサンスやにある「個の復権」や19世紀の産業革命によってもたらされた「分業化」に起因していて、日本で見られる「横」の関係重視は明治維新で文明開化したにもかかわらず封建制度の精神が今もそのまま残っているかららしい。

Systems Engineeringは日本で「系統工学」中国で「系統行程」と、どちらかというと「縦」に注目した欧米の文化に合っていると考えられている気がするけれど、SEやPMの授業を受けていると、どうも、「横」の関係をもっと取り入れてSEを実行することが大事だ、と言っているんじゃないかと思えることが度々ある。

ということで、当たり前の結論。「何事にもバランスが大事」。

日本のSystems Engineeringを良くするには日本が誇るところは誇って、欧米に学ぶところは学ぶべきということだ。
問題は縦横のバランスを見直すに当たって、その縦横のバランス感覚を持って取り組めるかだけど。

2007年10月19日 (金)

Last Dinner

20071018_1_2 明日で一週間のビジネス・トリップが終わるので、今日は恒例の夕食会が開かれた。いつもは近所のレストランのバーエリアを借り切ってしているこの夕食会、今回はAlmuni Conference(卒業生カンファレンス)が合わせて開かれていることもあってか近くのホテル最上階にあるパーティスペースを借り切ってビュッフェ形式のディナーだった。ちなみに来年度の学生(SDM'08)も一部来ていて、カンファレンスには日本人の受験生(日本の大学と違って願書を出した人から審査を受けて合格者が定員に達すると締め切る)が2人もいたらしいので会えるかと期待していたのだけれど、残念ながら会えなかった。是非とも合格して入学してもらって、1月に会えることを期待しよう。

夕食会は、同伴有りなので皆と同じく当然ながら妻と娘も参加。1月の集中授業が終わった直後に生まれたうちの娘はみんなのアイドルみたいになっていて、3ヶ月毎に会うのを楽しみにしてくれているクラスメートも多い。3回目の今回、娘はみんなに愛想を振りまきまくった上に、つかまり立ちも披露して得意気だった。妻も3月のディナーでは標準スピードの英語についていけずに焦っていたのが、さすがに半年も経つと慣れたようで放っておいても奥様達で会話を楽しんでいる。妻曰く「他の日本人一家と違って娘の検診についてきてくれない希有な旦那のおかげ」らしい・・・・いずれにせよあっという間の楽しい3時間だった。

3月、7月と3ヶ月毎に開催されてきたビジネストリップも今年はこれでおしまい。つまり13ヶ月で卒業するメンバーと遠隔授業を受けるメンバーが顔を合わせるのはこのビジネス・トリップが最後の機会であり、今日が最後の夕食会だ。これから残りの2ヶ月はスクリーンでしか会わないのは何とも寂しい限りだ。

本当は写真でも撮っておけば良かったのだけど、色んな人たちと話すのに夢中ですっかり忘れてしまっていた。明日の授業が本当に最後の機会になるので忘れないようにしよう。

写真はディナーが始まる直前に撮った今日唯一の写真。チャールズ川越しにボストン市内を望む。
最上階とはいえ実は16階、ケンブリッジは小さな街なのだ。

2007年10月17日 (水)

3/60

20071016 先週辺りから涼しいと言うよりも寒くなってきて、空気に冬の匂いが感じられるようになってきた。
最低気温もいつの間にか7度くらいになっていて夜家に帰るときにはしっかり上着を着込まないと震える寒さ。あと半月もしてハロウィーンが終わったら、いつ雪が降ってもおかしくないらしい。

外は寒くなってきたけど、先週からそれを吹き飛ばすくらい忙しい。今週は宿題4つにプロジェクトのマイルストーン1つ、論文執筆が重なっている上に、昨日から1週間の予定で秋のビジネストリップが始まっているからだ。ビジネストリップというと本来はキャンパスにいる学生がどこかに出かけるのが普通だ。しかしSDMプログラムでは遠隔授業を受けている学生がキャンパスに集まってくる機会になっていてイベントが満載だ。

授業や論文がどんなに忙しくてもクラスメートとの交流はできるだけ欠かすことが無いようにしたいと思っているので可能な限り参加することにしている。教室の外で築く人的ネットワークとコミュニケーションから得るものは人生の財産として決して小さなものではないと感じているからだ。

それに普段スクリーンや電話を通してしか話すことができないクラスメート達と実際に会って話しをすると、何故かほっとする。用事は電話やメールで済んでもやっぱり会わないと伝わらない何かがあるんだろう。キャンパスにずっといる学生としては自分たちもたまにはどこかに出かけたい気分になるけれど、いつもはいないクラスメートが加わってにぎやかになったキャンパスも嬉しいのでよしとしよう。

そしてこの時期に集まっての話題は「いつ卒業する?」「就職活動はどんな感じ?」ということ。僕は就職活動をする必要はないのでひたすら授業と論文を進めるだけだ。しかし大抵の学生は就職活動を始めているのでキャンパスにはスーツ姿のクラスメートが徐々に目立つようになってきた。
一方で、そういったクラスメートの大半が卒業を6月に予定している事が判明。文字通り13ヶ月で卒業する予定なのは60人のクラスメートのうち、なんと3人だけ。みんなアメリカの就職シーズンに合わせたいのと、どうせならもう少し沢山授業を取ろうということらしい。もう少し正直に言うと13ヶ月はフルマラソンコースなのでしんどいということらしいが・・・・

確かに遊ぶ時間も少なくて誘いを断ることも度々なので(もちろん小さいのがいるからという大きな理由もあるけれど)もう少しゆったりと過ごす方がいいに決まっているが、そうも言っていられないので与えられた制約の中で精一杯やるしかない。

というわけで、1月卒業に向けて3人で励まし合って最後まで走り続けようと思う。

(写真はキャンパスにいるリス。この時期は彼らも冬支度で忙しい)

2007年10月11日 (木)

プロジェクトはなぜ計画通りに終わらないのか(その1)

20071010_1 ボーイング社の次世代中型旅客機、ドリームライナーことB787の出荷が半年遅れるというニュースが今日飛び込んできた。以前から噂はあったので特に驚くことでもないけれど、競争相手エアバス社のA380と揃って遅れる事になったわけだ。
NASAとNOAA(アメリカ気象庁)とDoD(国防総省)が開発している時期気象衛星はスケジュールがどんどん後ろにずれている上に、開発コスト見積もりが当初の2倍に達する見込みらしい。

もちろん日本でも規模の大きなプロジェクトを見渡すと、スケジュールと予算とシステム性能が開発開始時点での計画どおりに完了したプロジェクトを探す方がよっぽど難しい。開発完了時期が毎年1年ずつ遅れていく事も冗談ではなく本当にあったりする。

なぜプロジェクトはかくも予定通りに終わらないのだろうか。

あたりまえの事を言ってしまうと、将来予測はどんなに緻密なものであっても全て不確かだからだ。
どんな計画でも何かしらの仮定や予測の上に成り立っているわけで、それらが100%確実に起こるなんて誰にも言えない。そしてその不確定性が高いほどプロジェクトの計画が狂う可能性は高くなって行かざるを得ないのだ。
つまり、プロジェクト計画が立てられた時には、それがどれほど確実なものか、どれくらいの変動がどれくらいの確率で起こりうるのかを考える必要があるわけだ。その確率分布が数字で出ないなら感覚的なレベルで表現してもいい。リスク管理の基本はそこにあるのだと思う。プロジェクト計画の善し悪しは、どんなに細かいスケジュール表やコスト内訳表を見てもそれだけでは判断できない。

面白いことに(悲しいことに)プロジェクトマネジメントの授業でアンケートを採ったところ、クラスメートが働いている企業での平均的なプロジェクトについての印象は、半数以上が「プロジェクト開始当初からどう考えても無理なスケジュールが組まれていた」というものだった。十分なスケジュールとリソースが組まれていると感じている幸せな人たちは数人だった。
もちろん最初は「きついけど何とかなるかも知れないな」と思っていた場合でも、終わった時には「だからやっぱり無茶だったんだってば」に変わっている心理的なトリックは有るだろう。それでも最初から非常にタイトなスケジュールが組まれていることが多いのはどうやら世界共通なようだ。

  • 「いつまでに出来るか」ではなく「いつまでに終わらせる必要があるか」という経営判断で終わりが決められるから
  • 全て問題なく進むことを前提に計画を組むから
  • 計画を立てる人が現場を知らずに計画を組むから
  • 世の中の変化に対応して計画見直しが入るから(物価、規制、景気変動、顧客のニーズ、競合関係などの変化)
  • 必要なリソースの見積もりが甘かったから
  • プロジェクトの途中で要求が変わったから
  • メンバーのモチベーションやモラルが下がったから(長期化、長時間労働、プロジェクトの魅力低下など)
  • そもそも計画がおおざっぱで根拠がなかったから
  • やるべき事が抜けていたから
  • 間違った根拠に基づいて計画を立てていたから
  • プロジェクトがチームとして機能しなかったから

まだまだあったけれど、全てクラスメートから出てきたプロジェクトが遅れる理由だ。

写真は最近改修工事が終わったSTATA Center。予想以上に傷みが早いらしい。

2007年10月10日 (水)

E85

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紅葉を見に出かけたメンバーは友人一家と僕の家族、合計すると6人になる。ホテルや電車と違って車ではちびっ子も必ずインファントカーシートに乗せるので席を1つ占めてしまう。なので僕が持っている5人乗りの車では行けないのでミニバンをレンタルして行ってきた。

数日前に7人乗りのミニバンを予約して、いざ当日借りに行ってみると「ミニバンが無かったので料金は据え置きでいいからワンサイズ大きい車を使って欲しい」と言われて8人乗りのフルバンが用意されていた。それが写真の車、ChevroletのSuburbanだ。日本では発売されていないこの車、とにかくでかい。僕が借りたクラスは5.3Lエンジンに全幅は2mを超え、全長5.5mという大きさだ。トヨタのランドクルーザーでも2m×5mに収まるし、日本で僕が乗っているショートワゴンに至っては1.8m×4.5m以下だ。

アメリカ人は車は大きければ大きいほど好ましいと考えている節があるし、世の中では車に限らず予定した値段よりも高くて怒る人はいても安くて怒る人はいない。仕事も遅くて怒られることはあっても予定より早く終わって怒る人はまずいない。
僕はあまり大きな車が好きではないけれど、ボストンに来てすぐの頃に家財道具をそろえるため借りて走り回ったカーゴバンと似たような大きさなので運転には問題ない。何より田舎に行くわけで道も広ければ駐車場も広いだろう。それに子供が2人も乗っているのでまぁ何かと便利かも知れないと言うことで借りていくことにした。
レンタカー会社もそういう算段でやっているんだろう。

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そして、借りる前のチェックをやっているときに[FlexFuel E85 Ethanol]というエンブレムが貼ってあることに気がついた。車内に説明書があったので友人が読んでみたところ、想像通りガソリン中のエタノール含有率が85%までOKだということらしい。いわゆるバイオガソリン対応車だ。カリフォルニアや南米ではポピュラーだと聞いていたが驚いたことにボストンでも既に普及し始めているらしい。

車自体はまだ1000マイルも走っていない新車だったのと5.3Lエンジンでタイヤも20インチを履いているおかげもあってとても楽に運転できた。入っているガソリンにどれだけエタノールが含まれているかは知るよしもなかったけれど、加速感からするとディーゼル車よりもガソリン車だったし、全くわからなかった。

一日しっかり楽しんで次の日の朝、返却する前に近所のガソリンスタンドに入ってレギュラーガソリンを入れようと思ったらポンプの隣に[E10]のシールが貼ってあることに気がついた。レギュラーガソリンにはエタノールが10%含まれているとのこと。最近ではアメリカでも販売されている普通車の多くがエタノール10%に対応しているらしいが、(自分の車は10年ものなので対応していない)いつもは違うガソリンスタンドで給油するのでたまたま出会っただけなのかも知れないけれど、いままで気にも留めなかったので今度確認してみよう。

それ以上に驚いたのは、1/4以上ガソリンが残っているのにもかかわらず、なんと80Lも入ってしまったことだ。450kmほどしか走っていないしほとんどずっと高速道路を走っていたにもかかわらず燃費は5.6km/L・・・カローラ3台で走った方が省エネなんて驚きを通り越して呆れてしまう。

アメリカ政府は最近の原油高を受けてバイオ燃料の利用に力を入れるようになっているけれど、穀物の総生産量はそんなに上がるわけでもないはずなので、食料から燃料への転換をしているだけなのでどこかにしわ寄せが必ず来る(もちろん既に来ている)。ガソリンの消費量を減らすだけじゃなくて、エネルギーの使用量を減らさないと結局は価格の高騰がガソリンから他のエネルギーに移るだけだろう。そのためには10年、20年スパンでの教育が必要になるわけで、人の行動パターンを変えるための地道な活動が必要なんだろう。

Suburbanのガソリンタンクの容量は後から調べてみると120Lだった。
やっぱり車は、必要最小限のサイズが好きだという意を強くしたのでした。

2007年10月 9日 (火)

New Hampshire (渓谷編)

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友人の高校を後にして再度I-93を北上。スケジュールが遅れ遅れになったせいで夕方近くになって目的地のFlume Gorge(Flume渓谷)に到着。ここはビジターセンターが併設されていて、綺麗に整備されているためか遊歩道に入るのも有料になっている。その分歩きやすいので子連れにはピッタリのハイキングコースだ。

あいにく小雨がぱらついて日も暮れかけていた。それにもかかわらず多くの人がハイキングを楽しんでいた。今年の夏はキャンプに行かなかったので久々の山歩き。ひんやりとした空気と雨が森の匂いを一層強くしてくれて心からリフレッシュすることが出来た。
もちろんFlume Gorgeは渓谷と言うだけあって滝や川がダイナミックに流れている。途中には深い谷を渡る橋まであって1周3kmほどのコースは常に景色を変えて飽きることがない。何より驚いたのは切り立った岩の間を川が流れていてその川の横を歩けることだった。断崖絶壁の岩山に黄色い紅葉がマッチしてなかなか気分がいい。

今回は紅葉を楽しみに来たけれど、娘がもう少し大きかったら夏に来たいと思った場所だった。

New Hampshireの紅葉を見に来て気づいたけれど黄色い紅葉もなかなか素敵だ。日本にいたときにはモミジを中心に真っ赤に染まる山が好きだったけれど、黄色い紅葉は少し明るめに見えるので、黄色い木々に囲まれると溢れる光の中にいるみたいで、それはそれで見事だった。

ニューイングランドの秋はお勧めです。

2007年10月 8日 (月)

New Hampshire(寄り道編)

20071007_1 日本から遊びに来てくれている友人家族と一緒に紅葉を見に行ってきた。ボストンからインターステイト・ハイウェイ、I-93をひたすら北上すればニューハンプシャー州にWhite Mountainという有名な国立公園が有る。マサチューセッツ州やニューハンプシャー州を含むニューイングランド地方は全米でも有数の紅葉が綺麗な地方として知られているらしいのでその紅葉を見てみる絶好の機会だ。次の月曜日がコロンブスデーで3連休になっていて、この時期は紅葉を楽しみに旅行をするのがこの地方のアメリカ人にとっては由緒正しい過ごし方という人もいるくらいだしタイミングもばっちり。
本当ならばゆっくり2泊3日で行きたいところだが、そうも言っていられないので今回は簡単に日帰りコースだ。
早速出かけた僕たちは、所々で事故渋滞や紅葉渋滞に巻き込まれながらも道路脇に生い茂る木々の紅葉を楽しみながらひたすら高速道路を北上。日本のたいていの高速道路とは違って単に森林の間に道を通した感じになっていて、場所によってはガードレールも何もなかったりする。路側帯のすぐ横はもう林になっていて万一ハンドル操作をミスれば一巻の終わりだろう。それが逆に自然の中を走っている雰囲気を高めてくれて、ドライブしているだけでも十分紅葉を楽しめるので渋滞もあまり苦にならずに進めるのは少し嬉しい。

途中のRest Area(日本の高速道路で言うパーキングエリア)にあった林の中で持ってきたお昼ご飯を食べた後は今日の1つめの目的地である、ニューハンプシャー州のとある高校へと向かった。
すごくのどかで緑豊かな田舎町の中にあるその高校は、なんと遊びに来てくれている友人の1人が卒業した高校なのだ。こんな機会でもなければ一生行くことも無いだろうし、僕らとしてもアメリカの高校がどんなところか気になるので寄らない手はない。

20071007_2 20071007_3a高速を降りて5分も経たないうちに到着した高校は、緑豊かな林に囲まれた静かな田舎町にあって一際大きく目立ち、休日のクラブ活動にいそしむ高校生であふれていた。学生の雰囲気ものどかで、のびのびとアメフトやサッカーに興じている。校舎や寮は煉瓦造りの低層階で歴史もあって、日本の田舎にある木造校舎の学校と雰囲気は少し似ているかも知れない。もちろん学生寮はどこの国も同じようなものだと言うことがよくわかった。

学校に面したメインストリートも時折車が通るくらいでとてものどかなところだった。当時は学校の周りには民家を除けばカフェバーが一件と郵便局が一件あっただけで、それ以外には1時間歩いたところにあるガソリンスタンドに併設されたDunk'in Donutsが高校生が行ける最寄りの店だったらしい。現在もほとんど変わっていないみたいで、唯一変わっていたのは郵便局が無くなっていたこと(どうすんだろう・・・)だけのようだ。この友人と僕が出会ったのはフロリダの小さな田舎町だったけれどもそれとも全く違う、アメリカ北部のヨーロッパ的な田舎はなかなか新鮮だった。

今年は単純に紅葉が遅いのか地球温暖化の影響かわからないけれど木々の色づきは3~4分と言ったところ。友人が高校生の頃は、この時期になると町中の木々が黄色に染まってそれは綺麗だったそうだ。機会があったらまたドライブしてみたい雰囲気の街だった。もちろんこの時期、ハロウィーンの準備も着々と進んでいるようだ。
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2007年10月 5日 (金)

Sputonikが変えたもの

20071004_0 あれは学生生活最後の夏だった。友達と2人でドイツの片田舎にあるユースホステルに泊まって、庭で満天の星空を眺めていると星が1つ天頂近くをすーっと動いていくのが見えた。飛行機のように点滅することもなく、他の星と同じように、そしてひときわ強く光を放ちながらゆっくりと空を横切っていった。あれは間違いなく人工衛星だと確信したとき、思ったのは不思議とスプートニクの事だった。こんなにじっくりとそして天頂を横切っていく人工衛星を見たのが初めてだったからかも知れない。

もちろん、50年前の今日にスプートニクを空に見つけた人がいたとしたら、その驚きと感動(または恐怖)は並大抵のことではなかっただろう。たったの3週間、周期的にシグナルを出すだけの直径60cm、重さ84kgの球体が宇宙開発史に与えた意義とインパクトはアポロにも劣らないと僕は思う。

当時、冷戦のさなかにあってアメリカが受けたショックは途方もないものだったと言われている。(フルシチョフを始めソ連の首脳陣も、自分たちがアメリカに先んじたことに少なからず驚いたらしいが・・・)なんせソ連は自分たちの頭の上を自由に通り過ぎることができる状況を作り上げたわけで、制空権を握られたような気分になったのだろう。

アメリカの宇宙業界にとっても宇宙開発競争第一戦の敗北以外の何者でもなかった。皮肉にもアメリカ軍が自分たちの人工衛星のために築いた追跡システムは10月1日に完成しており、初めての運用は競争相手のソ連の衛星をトラッキングすることでなされたのだ。この世界初の人工衛星を巡るソ連とアメリカの競争はWeb上や本で多くの人が語っているし、「月を目指した2人の科学者」にわかりやすく詳しく書かれているのでそちらに譲ろう。

面白いのはその後アメリカが取った行動だ。スプートニク・ショックを受けたアメリカは国家レベルでRevival of Scientific Management(綿密・論理的なマネージメントの復興)と題して、プロジェクトマネージメントの改革に取り組み、マネージメント方法の開発と導入に乗り出したのだ。

もちろんプロジェクトマネージメントは古代エジプトのピラミッドを含めて世界中で行われていた。しかしマネージメントのプロセスや手法を定義して、計画と結果を文書化しながら進める「フォーマルなマネージメント」は近代にならないと出てこない。今でもよく使われているガントチャート(タスク毎に時間を横棒で表すやつだ)、Henry Gantt氏が1910年に船の開発プロジェクトのために生み出したのが最も古い有名な手法だと言われている。

いずれにせよ、スプートニク打ち上げの翌年1958年には潜水艦ミサイル開発のために、プロジェクト評価とレビューにPERTと呼ばれる手法を導入し、1960年には化学製品で有名なDu Pont社(当時は宇宙防衛産業に熱心であった)が生産プロセスの管理にCritical Path Method(CPM)を導入している。そして1960年代に入って人が宇宙を目指すMercury, Gemini, Apolloにおいて、WBSやコスト管理、スケジュール管理、コンフィギュレーション管理などが行われるようになっていった。

これらのプロジェクト管理手法がどれだけムーンレースでのアメリカの勝利に貢献したかはわからないが、Apolloプロジェクトでは最繁期で約4,000,000人が働いていたと言われている。Satarn Vロケット、Apollo宇宙船(司令船、着陸船、機械船)、地球帰還後の要員回収システム、地上管制設備、ロケット打上設備、宇宙飛行士と各システムのためのトレーニング&試験設備など、分散した多くのシステム開発と運用が平行して行われていたのだから、何にも無しではとても10年以内には終わらなかったんじゃないかと思う。
そしてアポロが月に行った年、1969年に世界で初めてのシステムズ・エンジニアリング標準、MIL-STD-499の制定に繋がっていく。

スプートニク(ショック)がシステムズ・エンジニアリングに与えた影響は思った以上に大きかったのかもしれない。

写真は今日のMITのトップページより。一瞬驚いたけれどリンク先は100%火星計画の宣伝で納得&がっかり・・・

2007年10月 3日 (水)

仕事と育児

20071002_1 夏学期が終わる直前に子供を産んだクラスメートが学校に子供を連れてきた。生まれてまだ一ヶ月も経たない子供は本当に小さくて、つい半年前に自分の娘がその状態だったことが信じられないくらいだ。
そして開口一番言われたことが「新生児の面倒を見ながら授業を取るのは本当に大変。自分はどうしてやってこれたのか教えて欲しい」だった。

僕の場合は妻がフルタイムで娘の面倒を見ているので、一日に1~3時間、妻の手に余る分だけ面倒を見ていればいい。しかし彼女は母親(しかも初産)と学生とを1人でこなさなければならないので負荷は2倍だ。出身もアメリカではないので両家の家族は基本的に海外に住んでいるらしい。いくら授業数を減らして遠隔授業を家で受けていると言っても、出産直後から学校に戻るというのはなかなか出来ることではない。その体力と頑張りには敬服するばかりだ。

アメリカでは歳を取ってもフルタイムの専門職で仕事を続ける女性が決して少なくないけれど、実は子育て環境は日本と比べて充実しているかというとそうでもない。むしろ日本の方が手厚いんじゃないかと思うくらいだ。良い点はベビーシッターが見つけやすいくらいで、聞くところでは育児休暇は3~6ヶ月が限度。もちろん短いからと言って政府から金銭的な支援が有るわけでもない。日本では取りにくさはあるにせよ1~2年は休めるし、託児所を設ける大企業も出てきているなんて話しをするとすごくうらやましがられる。

それでもやっていけるのは知られているとおり再就職や転職が当たり前の社会だからだ。4人の母であるクラスメートも、3人目を産んだときに仕事を辞めて、4人目に手がかからなくなってから新しい仕事に就いている。働けない状況になったらやめて、働ける状況になったらまた仕事に就けばいい、そうやって40歳を過ぎたエンジニアでも子育てが終わったらまた自分のしたい職業に着ける機会があるのはいいことだ。

もちろん世の中そんなに簡単ではないのでシビアな競争を勝ち抜いた人だけが戻れるわけで、柔軟性と機会の平等の対価はきっちり求められる。なので今日も彼女は子供を横に寝かせてスクリーンの向こうから授業に参加している。

2007年10月 2日 (火)

満8ヶ月

20071001_1 今日で娘も満8ヶ月。この1ヶ月で出来ることが本当に増えた。赤ん坊の成長スピードの早さには飽きることなくいちいち驚かされる。身長73cm、体重9.2kg、身長伸びたなぁ。
離乳食で多少硬いものが食べられるようになった。しかも食べ過ぎじゃないかと心配になるくらい沢山食べる。お粥やら何やらで容量にすると朝夕各250mlくらい食べているらしい。数日前には下の前歯が2本生えてきた。ハイハイができるようになった。少ししか進めないだろうと思っているといつの間にかリビングの端から端まで移動していたりするし、この前は寝転がっていると僕の上を乗り越えていった。つかまり膝立ちも出来る。おもちゃでよく遊ぶようになった。ピアノや太鼓のおもちゃも囓るだけではなく叩くべきところを叩いて遊ぶ。そうすれば音が出ることがわかっているのかもしれない。

こうやって出来ることが急激に増えていく経験を覚えていられれば楽しいだろうなと思うけど、深層記憶にしか残らないのはもったいない気がする。どんなに才能豊かな大人でもスポーツや勉強を赤ん坊が基本を覚えるスピードと同じ早さで身につけることは出来ないだろう。

自分自身、もう一度赤ん坊に戻りたいとはあまり思わないけれど、こうやって人が1人成長していくのを間近で見るのは一生に一度は経験する価値が有るのかなと近頃思い始めたりする。

2007年10月 1日 (月)

千客万来

20070930_1 今日でもう9月が終わる。秋学期も1/4終わったことになるし、卒業するための論文締め切りが現実のものとなって見え始めてきたと同時にそこまでの道のりが果てしなく遠く見えてきたのも事実だ。帰国スケジュールも大体決まったことだし、引っ越し準備も含めてやらないといけないことは山ほどある。頑張らなくては。

そんな9月は一番来客が多い一ヶ月だった。航空券の高い夏休みが終わったため、親、兄弟、友人がほぼ週替わりで我が家に泊まりに来てくれたからだ。残念ながら自分は学校の忙しさにかまけて客人を放ったらかしにしているけれど、妻と娘は一緒に観光や遊ぶ機会が増えて楽しそうだ。

特に昨日から来てくれている友人は子供も一緒に来てくれた。どうも娘の人見知りは軽いのか一緒に遊んでもらえて終止大はしゃぎ。この1~2ヶ月で出来ることがとても多くなったことも幸いして遊べるおもちゃも増えてきたのでなおさらだ。もちろんブロックで遊ぶといってもまだ娘は破壊して、口に入れるか投げるしかしないけれど彼女なりに一緒に楽しく遊んでいるらしいし友人の娘さんもお姉ちゃんとして面倒をみるのが新鮮なのか、それなりに楽しそう。やはり家はにぎやかな方が楽しい。

出来れば来週末は紅葉を見に隣のNew Hampshireまで出かけてこよう。

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