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2008年1月14日 (月)

スポーツ番組から見たアメリカ文化

20080113_1 まだ雀も寝ているであろう早朝に僕以外の家族が帰国の途に付いた。娘は空港についても寝ぼけ眼で抱いてやってもうっとうしそうにしていたが10日間のお別れだ。次に日本の家で会ったときにはどういう反応を示してくれるか楽しみだ。

年末年始は論文の最終校正と引越でずっとどたばたしていたので、久々に1人になってみると時間が止まったように静かな日曜日だった。今日はホテルからもほとんど出ずに荷物整理やパソコンのデータ整理をしながらテレビをつけっぱなしにしてNFL(アメフトのプロリーグ)のプレイオフを観戦していた。

アメフトはあまりに選手の役割が細分化されすぎているのでプレーしたいとは思わないけれど戦略やチームプレーを楽しむにはうってつけのスポーツだ。試合数こそ少ないけれど大学も含めると毎日のようにどこかのチャンネルで見ることができる。

というわけで、家ではニュースとDiscovery ChannelやAnimal Planetを除けばスポーツチャンネルをずっと見ていた。そこで気づいたのは試合やプレイオフを分析したり予想したりする番組が非常に多いことだ。特にプレイオフシーズンともなると次の試合についての分析番組を延々とやっている。どちらのチームがどういう点で有利か。チームの長所と短所はどこにあるか。今シーズンの戦いぶりを見て相性はどうか。それぞれのチームが勝つためには何をしなくてはならないか。コメンテーターや往年の選手たちが持論を持ち出しては止めどなく議論をしている。

番組を見ていて面白いのは誰もが持論を説明するときに感心するほど大量のデータを統計処理して示していることだ。さらには単にデータとそれを統計処理した結果から単純に予想するのではなく、これらの情報が試合運びや結果にどうインパクトを与えるか、そして相手チームをサポートするコメンテーターの予想に何が欠けていて、何を過大評価または過小評価しているかをまくし立てる。

データは持論を作り上げて正当性を説明するために不可欠なものである一方で、人の営みを分析するモデルやロジックに完全な物は存在しない。だからこそどちらのモデルや持論が確からしいかを延々と議論して、最後は論点となった試合の注目ポイントを整理して、実際の試合を楽しんでくださいという運びになる。

データとモデルだけ有れば誰でも予想できる訳じゃなくて、結局はそれを使う人たちの経験と能力に依存するし、結果は得られたデータを通して検証されなければならない。アメリカ流システムズエンジニアリングのベースとなる考え方をスポーツ番組にも見た気がした。

(写真は滞在しているホテル。キッチン付きでなかなか快適)

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