« 2008年1月 | トップページ | 2008年3月 »

2008年2月29日 (金)

船便届く

20080228 家族が家にそろってから2週間が経って、ようやく3人での生活用に家の中が落ち着いてきたと思ったところでアメリカから送った船便が届いた。入国してから45日だから大体言われていたとおりのスケジュール。

一辺10cmの立方体で$1程度の送料がかかるので、日本で買い換えた方が安い物、古くて買い換えたい物は全て売り払ってきたのだけれど、結局結構な量にはなってしまったので恐れていた通り部屋は段ボールに占拠されている。
2人で住んでいた家に3人で戻ってきたので当たり前だけれど、物が溢れてしまったので元々日本に残していった物を思い切って捨てる作戦進行中。

今の家に最初に引っ越してきたときには広すぎてもてあましたのが、いつの間にかちょうどいい広さに思えるほどに物が増えていたようだ。仕事のリソースと同じで、持っている分が必要な分になってしまっていたようで。
何てことを考える前に目の前の山を減らさなければ・・・と思うのもまた無計画か?

2008年2月18日 (月)

異文化のSE(その4~見える化)

20080217 自分が、そして自分の組織がどうやってシステムを開発しているかを明示的に表現することがSEの大事な一歩であるという考えを前回は紹介したけれど、これを確信したときに気づいたのはトヨタが取り組んでいると以前からあちこちで報告されている「見える化、わかる化」だ。

本当にトヨタがどうやって仕事をしているのかを知っている訳ではないので確実なことは言えないけれど、ここには本質的には和洋を問わないシステムズ・エンジニアリングの本質を知るヒントが有るんじゃないかと思っている。

MITの授業でもトヨタの事例はどの分野でも紹介されていて、JITやAndon、Kanbanなど生産や流通の合理化についてはすごく強調されるけれど、その他マーケティングや設計などのプロセスについては全く触れられる機会がなかったのは不思議な気がしたのだが、情報が出ていないせいなんだろうか、それともアメリカ人が日本から学びたいのはそこだけなんだろうか?

話がそれたけれど、何が起こっているか、何をどうしているかを当事者以外に分かるように論理的かつ定量的に示すのは言うほど簡単なことではない。意外と自分がどうやって物事を決めているか、進めているかを自分自身に説明することでさえ難しい。

実際にやってみようとしても、教科書に載っているどんなSEの手法やツールを使っても自分たちのやっていることを完全に表現できるわけでもないし、判断基準などを定量的に表そうとすると必ず誤差がある。

「だからSEは使えない」と昔は自分も考えていたけれど、それは一般的な方法論をうわべだけコピーしていてその本当に大事な部分も見えていなければ、対象となる自分たちのエンジニアリング活動への洞察が全然足りていなかったことに気づいた。

手法やツールについてはどんな良い物でも物事の一面をしかも簡略化せずには表現できないことは比較的理解しやすいのだけれど、定量化についての誤解はアメリカで学んで初めて本当に気がついた。

次回は、物事を定量化して考えることの重要性について書いてみたい。

(写真はSnow Stormの翌朝、ボストンでの家の近所にて)

2008年2月17日 (日)

新生活スタート

20080216
先週末、三連休の初日はMITでも世話になった旧友夫婦の家に遊びに行った。奇遇にも集まったメンバーは

  • 昨年結婚、この4月から安定した仕事に着く予定(今回のホスト)
  • 先日入籍したところ
  • この春に結婚することを発表したところ
  • 学校卒業して日本に帰ってきて娘が1歳になったところ(自分)

とおめでたい人ばかりだったので、皆がお互いを祝い合う何とも楽しいひとときだった。
積もる話も有りながら、夕方には新幹線(偶然にもN700)に飛び乗って妻の実家へ。帰国後初めて、実に1ヶ月ぶりに娘と妻に再会。
会ったときにどうリアクションするか楽しみにしていた娘は寝起きだったので結果は何にも反応無し。抱いてやっても終始ボーッとしていた。その後、実の父を思い出すのに半日かかったようだが素直になついたので、一緒に過ごす時間を一年間頑張って作った甲斐があったものだ。

そしてアメリカを出発して1ヶ月、ようやく家に全員がそろって帰ってきた。
妻は僕と同じように「なつかし~」を連発。
一方で、大変なのはおそらく状況が全くわからぬままに「我が家」にやってきた娘。急な変化に対応できるほどには成長していないようで、初日はお風呂に一緒に入っても1ミリでも身体が離れようものなら泣いていたし、部屋でも大人しかった。

そんな彼女も、一週間経ってようやく慣れてきたようだ。
家中を嬉々として引っかき回し、お風呂では以前紹介したラバーダックと本で楽しそうに遊んでいる。

元気な娘を見るのは楽しいけれど、親二人はまだまだ振り回されっぱなし。平日は仕事が終わって帰宅してから一日の残り半分が始まる感じです。

それでも楽しいと思えるのは、最近或る事を改めて実感しているからかもしれない。

「親は子供からいろんな事を学んで人として成長する」

何を学んでいるのかを正確に言葉で表すことはできないけれど、忘れてしまった自分の幼少期の記憶を取り戻しているような、それと同時に娘を介して自分という人間の本質を見ているような不思議な気分。

とある友人が「日々の成長を見守る、すてきな時間を・・・」というメッセージをくれたけれど、僕が見守っているのは実は自分自身なのかもしれない。
もちろん「見守る」と言うほど平穏なものではなくて「戦っている」と言った方がしっくり来るけれど(笑)

(写真は蜜柑と携帯、やっと夫婦で電話を持った)

2008年2月 6日 (水)

異文化のSE(その3~モデル化)

MITではどれだけ意見が荒削りで洗練されてなかろうと、まずは個人が意見を持たないことにはグループでのディスカッションは始まらなかった。意見をぶつけ合いながら必要な情報を見つけては足し、不明確さを取り除き、良い意見を取り入れて個人の意見を集約しつつ最終的に合意できる結論を導き出そうとする。

まずゴールや求められるアウトプット、メンバーの興味や経験、情報へのアクセス性などを明らかにして、ある程度必要な情報についての共通認識を取ってから、みんなで徐々に核心に入っていくことに慣れていた僕としては、このやり方に最初は面食らってしまった。

どれだけ良いアイデアだと思っても、否定的な意見に対して反論できなければならないしアイデアの良さを論理的に説明できなければならない。逆にどんなに馬鹿げたアイデアだと思っても、論理的に否定できなければ生き残ってしまう。

そして、自分の考えを明確かつわかりやすく論理的に構成し、時にはモデル化して図示しながら周りの人を納得させていくかが非常に重要であり、当然のように求められる。

実はこの文化がSEの基礎を支える重要な役割を果たしているんじゃないかと、いつの間にか思うようになった。

SEは有名な標準プロセスや設計手法、モデルなどを導入すれば上手くいくものではない。それらに沿っていれば転用や比較が容易にはなるので参考にすべきだとは思うけれど、大事なのは「自分たちの」物事の進め方、考え方、判断基準などを見える形にして整理することで漏れや矛盾を無くし、さらに他の人と共有、改善して継続的に組織のシステム開発をレベルを「自分たちの手で」上げていくことだ。

SEを導入して成功しているアメリカの組織は、その地道な活動を驚くほどしっかりとやっている。アメリカでは数年毎に転職を繰り返す事が多いこともあって、日本のように人にスキルや経験を貯めることが明らかに無理なことも手伝ってはいると思うけれど、日本が今後、世界に影響力を持っていきたいと思うのであれば、このコストは払う価値は有ると思う。(理由については次回詳しく述べたい)

ちなみに、最初に紹介したアメリカ流ディスカッションの進め方については僕は今でも否定的である。論理の説明が下手に突飛なところから始まったり飛躍があったりすると、それを論理的に否定するのに長い道のりを経なくてはならないことも多かったし、全員が違う前提条件を元に違う視点から意見を述べていると気づいたのが喧々囂々の議論を経た後だった事も度々あったりして、優秀なメンバーが集まらない限り、あまりに無駄が多いように感じられたのだ。

2008年2月 2日 (土)

あれから一年

20080201 あれは寝る暇もなく授業やグループワークに追われた1月、留学最初の1ヶ月がなんとか終わってホッとしているときだった。日付が変わった頃に病院へ車を飛ばし、夜を徹するどころかもう一度太陽が沈んだ頃に生まれた娘は、手のひらに頭を乗せると足が肘まで届かないくらい小さかった。

それが今や身長1.5倍、体重3倍、物入れの引き出しまで自分で開けられるようになって、手にするあらゆるものにかじりつき、ハイハイはとっくに卒業して走り出さんばかりの娘と当時の写真を見比べると、あっという間だった気がする一年が、実はものすごく長かったんだと思い直してしまう。

毎日が思い出に残るくらい濃密な一年だったから、娘が生まれる瞬間からずっと一緒に過ごして来た一年はしんどかったけど楽しかった。子育てはかなり参加してきた自負はあるけれど、勉強の合間にだけ面倒を見ればいい僕と違って、手のかかる娘を24時間世話してきた妻に心から感謝したい。

帰国して実家に帰ってから急激な環境の変化のせいか、ずっとお腹を壊したり熱が出たりと体調が万全ではないけれど、基本的には問題なく1歳の誕生日を迎えられたのは本当に妻のおかげである。

実家から帰ってきたら1ヶ月会っていない娘の誕生日を祝ってしっかり遊んでやろうと思う。そして妻にも少しは自由時間を作ってやりたい。

(写真はお風呂用の絵本と3匹のラバーダック。プレゼントに貰ってせっかく持って帰ってきたのに出番はもう少し先になりそうだ。)

2008年2月 1日 (金)

異文化のSE(その2~相手を知る)

僕が1年間アメリカでSEを学んでみようと思ったのは、本場アメリカで実行されているシステム開発プロセス、手法、ツールなどを日本に持ち帰ってそのままコピーして使いたいからではない。

日本で、特に宇宙開発の分野でSEを普及させるためには、アメリカのコピーではなく日本人の物作り文化にあったSEを自分たちの手で確立するしか無いと思っている。それでも経験だけから発見的にSEを体系化するのは並大抵の努力ではできないし途方もない時間がかかるだろう。

それに中途半端にアメリカのSEを聞きかじって、納得のいかないことも多い状態では余計に時間がかかることは間違いない。

ならばここで一年間かけてでも、アメリカ人がどういう問題をどうとらえ、どういう切り口から、どういう考え方で、チームや個人でどう取り組んでいるのか。どういう方法論やテクニックをどこまで本気でどうやって使っているのかを知りたいと思ったのだ。

一度、完璧とは言えないまでも体系化されたSEを裏の裏まで理解することで、欧米式のSEの長所短所のみならず、自分たちの物作りをもう一度客観的に見つめ直すことができて、欧米式SEの骨格を上手く利用して自分たちが何をすべきかに対するヒントが得られるんじゃないだろうかと。

結果的には、アメリカに渡って勉強してきた価値はあったと自分では思う。もちろんSEを体系的に理解したとはとても言えない。自分の能力が足りなくて理解できなかったこともあるだろうし、だれも解決していない問題がどんどん見えてくる。知れば知るほど新しい疑問が湧いてくる。

それでもMITのキャンパスで大勢のクラスメートと共に学び、共に過ごしてきた中で色々な事を知り、色々なものが今までと違う視点で考えられるようになってきたと思う。

前置きがとても長くなってしまったが、次回はいよいよ僕がアメリカでSEを学んで印象に残ったことを、ぎゅっと凝縮して書いてみたい。

« 2008年1月 | トップページ | 2008年3月 »