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2008年3月29日 (土)

Losing phrases!

20080328
昨日、仕事でヨーロッパとテレコン。驚いたことに話そうとすると英語が時々つっかえるし、言い回しを忘れて上手く言えず、会議が終わった頃に思い出す始末。これはショックだった。

帰国してきてから既に2ヶ月。英語を耳にしたり読み書きする機会は有る程度あるのだけれど、しゃべる機会が全くと言っていいほど無かったので早くも英語を忘れ始めている模様。これはうかうかしていると1年喋った分なんてあっという間に使い果たしてしまう。

娘に英語で話しかけるか・・・・いやいや、4月からまたラジオ英会話始めよう。

2008年3月22日 (土)

生き方

20080323 僕がSDMに入学願書を出すときには3人の方に推薦状を書いてもらった。入学選考が比較的簡素なSDMプログラムにおいて、この推薦状は非常に大きな意味を持っていたと思う。

だから今日、そのうちのお一人が急折されてしまわれたと知ったのは大きなショックだった。仕事上、平日には簡単に立ち寄れる距離でもないし年度末の忙しさもあってお礼の挨拶も先延ばしにしていたのが今更ながら悔やまれる。お通夜には参列する予定だけれど、こんな形でお会いしてお礼を述べなければならないと思うと悲しさと申し訳なさで泣けてくる。

実は10日ほど前にも高校の後輩が急折している。大学卒業以来会っていなかったけれど、僕にバスケットボールを教えてくれた恩人の1人だし、通夜には行きたかったけれど、そのときは季節の変わり目に決まって引く風邪と帰国後頑張ってきた疲れが重なったのかダウンしていたので行けずじまいだった。

2つの出来事は大きな存在感を持っていて、しばらく消えそうには無いけれど、この週末は彼らのことを偲びながら自分の生き方について考えてみたい。
それが彼らへの弔いでもあり、残された者に出来る精一杯のことなのだろうと思う。

合掌

2008年3月21日 (金)

留学報告

20080320 帰国してからしばらくしてやってきた年度末の忙しさに飲み込まれていたけれど、先週ようやくSDMでの留学結果を会社へ報告する機会があった。

ようやくとはいえ、まだ自分が勉強してきた膨大な内容を端的に表現できる自信はあまり無かったし、30分の中で何を報告するかはかなり迷った。むしろ3時間かけて勉強してきたことを逐一報告する方がいくらか簡単だったかもしれないと思ったくらいだ。

それでも何とか授業や論文研究から学んだことのエッセンスを学生生活やSDMの情報を織り交ぜながら30分、なるべくわかりやすく報告したつもりだ。

質疑応答の最後にトップの人から「行ってきて良かったんじゃないか」と言ってもらうことができたので、この留学と報告会はひとまず成功だったと言っていいのだろう。

SEとは何なのか。そこに普遍の答えはないけれど、システムエンジニアとして必要なことを学んできたと評価してもらえたのかもしれない。もちろん本当に大事なのは「本質的な事を見抜き、チームをまとめて物事を成功に導く力」であって、教科書や学校で勉強できるのは、それを補助する論理的・合理的な考え方でしかない。せいぜい実践を模擬した演習を経験できるくらいだ。

それがとても貴重な経験である事は間違いないにしても、知識をフル活用して実際のプロジェクトを成功させ、効果的に実戦経験を積んでいく事ができてこそ、もう一度「行ってきて良かったんじゃないか」と行ってもらえるんだろうと思う。

そして、これから自分がすべきもう一つ大事なことは、学んできたことを社内外を問わずできるだけ多くの人に伝えていくこと。SEは1人ではできないし、何よりもったいない。
社内向けには企画を進めているけれど、社外の人でも希望が有れば時間とお金が許す限り対応するのでまずはメールでの連絡を待っています。

(写真はアメリカに向かうときに友人に預けたボケの木。なんと1年間しっかり育ててくれたおかげで、見事な花を咲かせてくれた。感謝!)

2008年3月16日 (日)

相変わらず

帰国して2ヶ月。娘はすっかり日本に慣れたのに加えて歩きたい盛りの時期なようで、とにかく外に遊びに行くのが大好きなのだ。

歩き回ってはいろんな物を観察し、段差をおそるおそる上り下り、調子に乗って走り出そうとしては顔から転ける。屋内でも他の子はその場で遊んでいるのに娘だけは、そこら中を歩き回っているので妻もなかなか目が離せず大変らしい。

それだけ動けば自然と身体が引き締まってきそうなものだけど、相変わらずなのが二重あごとぽっこりお腹。アメリカでは三重あごだった気もするから少しは引き締まったのかもしれないが、洋服のサイズが着丈じゃなくてお腹周りで決まっているのはどうかと思うこのごろ。身長は74cmとそこそこなのに、体重は10kgを越えている。

4月から保育所に通えることになったので、そうすれば日中に食べる量も普通になって少しはへっこむのだろうか。

とはいえ、まだ太い細いを気にする時期でもないと思うし、なにより自分の昔の記録を見ると9ヶ月頃に10kgを越えている事が判明。そりゃ仕方ないか・・・

2008年3月10日 (月)

異文化のSE(トップダウン)

20080310 昔から日本は「すり合わせ型」の物作りに強く、欧米は「モジュール型」の物作りに強いと言われている。もちろんどちらが良いとか悪いとかの問題ではなくて、両者ともに長所短所があるので得意とする開発対象が違ってくるだけだ。

確かに日本的な物作りは、カメラやプリンター、自動車のような精密な小型システムに強く、宇宙や軍事のような巨大システムの開発に弱い。だからといって巨大なシステムに弱いと単純に言ってしまうのは間違っているんじゃないかと常々思っていた。

なぜなら鉄道システムや化学プラント、高層ビルなど巨大システムと言えるものにも日本が得意とする分野がいくつかあるからだ。僕は今この記事を東海道新幹線の中で書いているけれど、快適な車両だけでなく、博多から東京まで線路や駅なども含めたそれこそ壮大なシステムを作り上げて緻密なスケジュールで運行している事は世界的にも尊敬に値する物だと思う。

システムズエンジニアリングを学ぶうちに徐々に思うようになったのは、日本的な物作りが苦手とする開発対象の条件は巨大かどうかだけで考えるのではなくて、次の3つに当てはまるかどうかで考えられないだろうかということだった。

  • すり合わせる箇所(つまりインターフェース)が、1人のリーダーが把握できないほどに非常に多いシステム
  • 新規性が高く、これまでにない環境でこれまでにない使い方をする新しい形をしたシステム
  • 外部のシステムとのつながりが深く、状況変化によって柔軟に振る舞いを変える必要があるシステム
  • 前例や経験が無く、開発対象や進め方に対して皆が共通のイメージを持っていないプロジェクト
     

ちょっと難しくなってしまうけれど、これは次の三つができないと対処することが難しくて、伝統的な日本の組織、特に大きな組織では苦手とする事だと思うからだ。

  • 個人の役割分担と責任範囲の明確化した上で構成された開発チーム
  • トップダウン思考(サービス指向、ミッション指向とも言う)によるシステム設計
  • トップダウンによる意志決定

日本が世界に誇るボトムアップ方式で仕事をし、曖昧さを残しながらも長期間の入念なコミュニケーションによって意思疎通を図る組織は、だからこそ急激な状況の変化に面すると動きが鈍くなり、現場が個別に動いて混乱と衝突を生じてしまうのではないだろうか。

現場レベルでの調整が強く働きすぎると全体のバランスが取りにくくなるのは自明だし、声が大きい人、強引な人、立場の強い人が勝つことになってビジネスやシステムが全体的に最適化されないリスクが大きくなるわけだ。

もちろんトップダウンだけでもボトムアップだけでも物事は上手くいかないし、欧米式のSEやマネージメントをそのまま取り入れて上手いく可能性は非常に低い。それで成功するなら誰も苦労はしないのだ。

本質的には、自分たちが全員で達成すべきことは何か、そのために誰が何をしなくてはいけないか、どういう情報が必要か、今の状況のどこに問題があるかを把握して全員がその全体像を理解できるようになることが必要だと思う。

(写真は実家の近所で咲いていた紅梅)

2008年3月 3日 (月)

異文化のSE(数字で表す事の意義)

20080302 MIT在学中に受けた授業から学んだことは沢山あるけれど、その中でも「定量的な分析や評価の意義」が学べたのは非常に大きな収穫だった。リスクや価値といった数字で表しにくいけれども大事なことを、敢えて相対的または絶対的に数字で評価するのは何故かという問いに対して自分なりに答えを見つけられたと思っている。

これは一つの授業からだけではなくて、"Product Design and Development"、"Enginering Risk Benefit Analysis"、"Engineering Analysis for System Design"、"Marketing"、"Technology Strategy"、挙げればきりがない。いや、ほとんど全ての授業を通じて学んだ事だ。

MITに来る前には、英語の教科書や論文に載っている定量的な分析・評価方法がなぜ欧米で利用されているかが疑問だった。感覚的な事柄を数字で表すには主観的にならざるを得ないし、複数候補間の評価数値の差の妥当性、複数のパラメータ間の重み付け、これらには絶対に誤差が含まれる。

こんな問題だらけの状況で得られた点数や順位に何の意味があるのか分からなかったのだ。

実際に学んでみても「主観的に出された数字に誤差がある」ことに間違いはなかった。僕が間違っていたのは定量的な評価が物事を決めるという考え方だった。

Pugh Matrixを紹介した記事でも述べたけれど、定量的な分析・評価は意志決定を自動化するためにあるわけではない。数字だけで自動的に決められるのは、無数の候補から明らかに他より劣るものを見つけ出して選択肢を絞りこむ事がせいぜいなのだ。仮に最終的な選択を定量的な評価によって行うとしても、それが本当におかしくないかを経験や感覚から見直してみて、疑問が有れば考え直したり、結果をひっくり返す事があると考えるべきだ。

定量的な分析・評価をする最大の目的は、数値的に表現することで自分が何を重要視(軽視)し、評価しているか(していないか)を人に伝えるためにある。人によってその考え方が違うのは当たり前。でもその考え方の違いをお互いに理解するきっかけとなり、どうするのが良いかという議論が進む。これが定量的な分析・評価の最大の目的であると僕は理解している。

「意志決定を自動化することは不可能だ。いくら過去の事例からデータを得ても将来を当てることは難しい。最後には責任者が自分の意志で決断するしかない。定量的な分析・評価はその決断のために必要な情報の一部でしかない。」

リスク評価の第一人者といわれるGeorge E. Apostolakis教授の言葉だ。今でも僕の心にしっかりと残っている。

(写真は15ヶ月ぶりのたこ焼き。出来はまずまずで80点といったところ)

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