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2008年6月16日 (月)

Commencement

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卒業式の朝は早い。娘の時差ぼけに付き合ったせいもあるけれど朝7時にはホテルを出て学校へと向かう。生憎小雨が降っていたのだが、卒業式会場には傘も持ち込めないとホームページに書いてあったのでガウンとキャップをCOOPのビニール袋に入れて守りながら、自分は濡れて歩く。

ガウンとキャップは$35でレンタルしたのだが、ガウンは見るからに安物でレンタル窓口のお姉さんに"It will 'bleed' when it gets wet."(濡れたら色落ちするからね)と言われていたし、ガウン姿で電車に乗る気もしなかったからだ。

体育館に集合してみると1時間も待たされることがわかったので、久々に合うクラスメートや知人とゆっくりと近況を伝え合った。SDMのクラスメートは全部で40人くらいが式に参加していたが2007年度入学の同級生は10人程度で、残りは全て2006年度入学の人たちだったのがちょっと拍子抜け。

もちろん20人以上は卒業しているのだが、卒業式に来なくても証書は送ってもらえるので仕事を既に始めていて式自体に興味がない人たちにとっては、わざわざ休みとホテルを取って飛行機で駆けつける気にはならないのかもしれないが。それでも何とか参加しようと前日まで仕事をしてシアトルから朝6時に空港に着く便でやってきた強者も居て参加者のテンションはかなり高かった。

体育館からKillian Courtまでの行列が始まる頃には雨も上がって涼しくて気持ち良かった。通行止めになったMass. Ave.とMemorial Dr.を歩いて向かう。沿道には晴れ姿を見に来た沢山の家族が手を振り声をかけている。心地よい音楽が流れるKillian Courtに足を踏み入れると、観覧席を埋め尽くした卒業生の家族達の出迎えを受けた。

20080615_2 式自体は非常に簡単な流れだ。学長挨拶、貴賓挨拶(今年は2006年にノーベル平和賞を受けたDr. Muhammad Yunus氏)、卒業生代表挨拶。そしてその後は1人ずつ名前を呼んでの卒業証書&修了証書授与が2時間半延々と続く。

自分の順番を待ちながら、1人1人の名前が読み上げられて壇上で証書が渡されていく様子がパブリックビジョンにも写されるのを見ていると、どの顔もとても誇らしげで、開放感にあふれていた。

20080615a単に紙切れ一枚をもらうだけなのに、自分の番が近づいてくるにつれてなぜか緊張してきた。そして席を立って順番待ちの列に並び、とうとう自分の名前が呼ばれて修了証書をもらった時には喜びに変わった。

1月に論文を提出して日本に帰ったときにも達成感と開放感はあったけれど、こうしてみるとセレモニーって大事だなと思う。色々なことが思い出されると同時に何故か心地よい疲労感の中でMITでの生活が完全に終わったという実感に浸ることが出来たのだ。

式が終わった後は妻と娘、そして友人家族と一緒にドームを背景に写真撮影。娘は時差ぼけでとっても眠そうだったけれど家族そろって卒業を祝える自分は本当に幸せだと思った。これも学生生活中はもちろん、今回の旅行もほとんど寝ずに娘の面倒を見てくれている妻のおかげだ。
自分ももちろん夫として、父親として、全力で出来る限りの事はやったけれども、我が子と一緒にボストンでの一年を過ごしたことからもらったエネルギーはそれ以上だったと思う。そんな環境を用意してくれたのは間違いなく妻であり、3人の生活を献身的に支えてくれたことには感謝の言葉もないくらいだ。
そんなことを考えながらSDMの卒業パーティへと向かった。
久々に会った学科長やスタッフ、そしてまだ在学中のクラスメートは娘の成長ぶりに目を見はり、"SDM Baby"としてかわいがってくれたのがとても嬉しかった。

長い長い1日だったけれど、わざわざこのために日本からやってきた価値は十分に有った今回のボストン卒業式旅行だった。

ちなみに、帰りは何事もなく順調な空の旅を経て無事に日本に帰ってくることが出来たのでした(ふぅ)。

(写真はキャップに着ける房飾り。学士は右側に、修士や博士は左側に垂らすのが決まりだ)

2008年6月14日 (土)

BEAT LA!

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トラブル続きの長旅で疲れていた上に、卒業式前日の夜にもかかわらず妻子をほったらかして文句を言われてでも出かけなければならないイベントがあった。

なんせNBAファイナル第1戦のチケットを友人が手配してくれたのだ!!

メジャーリーグのワールドシリーズは見に行きたいと別に思わなかったけれどバスケットとなれば話が違う。ビッグファンの自分としては正に一生に一度のチャンスだと思ってボストンにいる友達に頼んで買ってもらったのだ。

本当に今年のボストンはどうにかしている。4大スポーツのうち3つでプレイオフチャンピオンシップに進出し、2つめの栄冠を手にしようとしているなんて聞いたことがない!

話を戻そう。
もちろん正規価格での販売は極超高倍率なのでまず購入できないが、アメリカという場所は良くも悪くもお金さえあればほとんどのものはどうにかして手に入る。コートサイドの席であれば$1,000払っても惜しくないとまで思っていたけれど、さすがにそんな席は$3,000以上の値段が付いていたので一番最上階の最安席で雰囲気を楽しむことにした。

対戦相手のLosAngels Lakersは日本ではBoston以上に有名チームだ。80年代にボストンと共に黄金時代を築き、MagicとBirdのスター対決は僕もテレビで見ていた覚えがある。正に今回はその再来ということで、テレビや新聞はもちろん、駆けつけた会場は試合開始前から異様な熱気に包まれていた。

自分も完全に舞い上がって、ファイナル限定の緑のTシャツを隣接するグッズショップで買って会場に乗り込んだ。どれくらい興奮していたかというと、買うTシャツをレジに並んでいる最中に着てしまい、そのままレジでタグをスキャンしてもらったくらいだと言っておこう。

Bostonのゲームを見に来るのは3試合目だけれど、リーグ最下位で半額チケットを買って見た試合はもちろん、リーグトップを快進撃で進んでいた今シーズン最中のゲームさえ目じゃないくらいの緊張感と盛り上がりがメンバー紹介の時点でスタジアムを包んだ。

国歌斉唱を経てゲームが始まるときには"Beat LA!"(ロサンジェルスをぶっ倒せ!)の大合唱。叫んでいる自分まで圧倒されるような大音響の中ゲームが始まった。

肝心のゲームはお互い一歩も譲らぬ好ゲーム。そして第3クォーターの終わりに怪我で退場していたPierceが戻ってきて3Pを立て続けに決めて逆転したときには、長年TVの画面を通して想像していたものを遙かに超える興奮と熱気を伴って押し寄せる歓声のまっただ中に自分がいた。その瞬間この場にいて本当に良かったと心から思った。

試合もそのままの流れでBostonがなんとか勝って(これ非常に重要)文句なし。間違いなく人生で一番熱狂したスポーツ観戦だった。叫びすぎたせいで、数日間はかすれた中尾彬の声のようになってしまったのも初めての経験だ。そして今シリーズ今日までの4戦中、観戦するBostonファンには間違いなく最高のゲームだと確信している。

1つだけ大失敗したのは、このゲームを日本で録画設定してこなかったこと。いつもは見終わったら消してしまうけれど、このゲームだけは一生持っていても良いかと思える体験だったのに。

というわけで、このゲームを録画した人がいたらDVD貸してください・・・・。

2008年6月13日 (金)

予想外のタイトロープ

20080612 眼下にボストンの見慣れた風景が広がり、飛行機がローガン国際空港に着陸したときに体中に広がったのは不思議と「帰ってきた」という感覚だった。たった一年しか居なかったボストンだけれど「またやってきた」のではなく第二の故郷に帰ってきたと言う感覚だった。ケンブリッジ生まれの娘にとっては文字通り帰ってきたと言えるのだが、僕自身もあまりに濃密な一年を過ごしたからかもしれない。もちろん頑張って娘を産んで育てた妻も同じように不思議な気持ちになっていたらしい。

しかし、ボストンへ到着出来たのは幸運だったと言っていいような往路だった。

今回のアメリカ行きの飛行機は気流が悪くてよく揺れた。機内食を配り始めたCAが途中で一旦中止したくらいだ。それでも大きな問題もなく乗り継ぎ地のワシントンに近づいたときに機長から衝撃のアナウンスが流れた。

「嵐が近づいているためダラス国際空港が閉鎖されました。管制官も避難するとの連絡を受けています」
「本機は給油のため近くの空港に向かいます」

結局飛行機はリッチモンドというよくわからない小さな空港で給油および天候回復を待ち何とか運用が再開されたワシントンへとたどり着くことが出来た。が、乗り継ぎ便は悪天候のためキャンセル・・・。

カスタマーサービスに1時間並んだ結果、その日の便はおろか翌日便も直行便は夜中まで空いておらず、ワシントンに一泊して翌朝にフィラデルフィア経由でボストンに向かうことになってしまった。

さらに荷物だけは当日便で自動的にボストンへ運ばれてしまったため手荷物のみでホテル泊。娘の着替えとおむつだけは手荷物に確保しといて本当に良かった。飛行機に乗るときに極力手荷物で持ち込むべき訳がここにもあった。

 

20080612_a そして翌日は朝から快晴。これは問題なく飛んでくれると思ったところ、飛行機に乗り込んだとたん機長からまたもや衝撃のアナウンスが流れた。

「フィラデルフィアの天候が悪く、当便は35分から60分程度遅れる見込みです。」

これは乗り継ぎ時間が45分しか無かった僕らにとってはクリティカルな問題だ。今日中にボストンに着くことが出来なければはるばるアメリカまで苦労してやってきた意味が無くなってしまう。早速CAや機長にまで相談して、便変更までしたいと申し出たのだが、親切な地上係員がフィラデルフィアからボストンへは1日数便出ていることを確認してくれたのでとりあえず飛んでみることにした。

結果、空港をベビーカーで疾走してなんとか搭乗締め切り1分前に飛行機に乗り込むことが出来たという冷や汗ものの乗り継ぎだった。

昼過ぎにやっとこさボストンに到着。1日ぶりに荷物をピックアップしてホテルへ直行。プリペイド携帯を購入して大学で卒業式のためのガウンと家族参列用のチケットを受け取ったらもうへとへとだった。

こうしてどうにかこうにか3回の経由と、時間的な綱渡りを経てボストンにやってくることが出来た今回のフライトは人生で2番目にしんどかったフライトだった。

1番目はブラジルに行った帰り、既に10時間ほど飛行機に乗った後ロサンジェルスでの乗り換え時、積み荷のバランスが悪いからと空港の片隅で機内に5時間閉じこめられたときだった。最もこのときは離発着する航空機を地上で眺めながら機内食を食べるという類い希なる経験までついてきたけれど。

2008年6月12日 (木)

卒業式旅行 ~はじまり~

20080611 SDMを卒業してからもう一年の1/3が過ぎた。帰国してから個人的な事情もあってずっとばたばたとしてきたのが漸く落ち着いてきたこともあって余計にそう感じるのかもしれない。ここらで一度仕切り直して一年の計画を立て直さないといけないなと、ぼんやり考えながらボストンへと向かった。

今回の最大の目的はMITの卒業式に参列することだ。MITでは2月、6月、12月が公式の卒業月なのだが、卒業式は6月の1回だけしかない。なので2月の卒業リストに載った僕も6月の卒業式には参加する権利が有る。

在学中は授業に向かうために一日二度は必ず通ってきたKillian Court。通るたびに卒業式をイメージしながら頑張るよう言い聞かせてきた。なので13ヶ月頑張ってきた自分にとっては是非とも参加したいセレモニーだったのだ。

卒業式は6月6日。前日に済ませるべき手続きがあったので2日前に現地入りする予定で飛行機に乗り込んだときには、まさか良くも悪くもこんな思い出深い旅行になるとは全く思いもよらなかった。

飛行機が定刻通りに成田を発ってから半日、最大のピンチはいきなりやってきたのだった・・・

(つづく)

2008年6月 2日 (月)

仲間の力

2080601 僕が在籍したSDMでは60人の仲間がいた。彼らはいつでも必要なときには自分の経験談や持っている知識を皆のために出来る限り提供してくれた。やるべきだと思ったことは自分のためだけでなく皆のために可能な限りリーダーシップを発揮して行動に移した。自分たちで使う設備は極力自分たちで管理して、問題が起これば自分たちの問題として解決に取り組んだ。SDMプログラムの価値を高めるためにはどういう改善ができるか、1人がメールで議論を開始するといつも数時間のうちに10件以上の返事があった。

あれは本当に見事だった。もちろん誰もが単なるボランティアで貢献しているのではない。皆のために貢献することで自分がそれ以上に大きなメリットを得られると感じているし、周りからも評価されるからだ。これは難しそうに見えるけれど、1人が1回ずつ貢献すればグループの人数分だけ倍になって返ってくるわけで、皆の学習意欲が高い状態で一旦臨界点を超えると、勝手にサイクルが回り始めるはずだ。

多くの人が共通の目的を持ち、長期間でのメリットに対して期待して行動することが出来れば物事はずっと良くなる。それでも、そうと分かっていてもなかなか上手くいかない。

学生と違って社会人に欠けている決定的な要素はそのどちらでもなく、実は「ちょっとした余裕」なんだろう。
(写真は光溢れる初夏のNYのセントラルパーク)

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