Open Contents in Academic World
ソフトウェアに限らずOpen Sourceという言葉が徐々に使われるようになってきて、どちらかというとOpen Contentsとでも言うべき現象がいろんなところで見られ始めている。
MITに限らず日本の大学でも授業の資料を一般公開してしまう試みが始められているし、MITのOpen Course Wareについては以前このブログで紹介したとおりだ。
MITは今後全授業の資料を公開する方針のようだが、もちろん資料は教科書を書き下したようなものに過ぎない。授業の本当の価値は優秀な教授のリードの元で優秀な学生たちが議論し、課題やグループワークを通じてトレーニングを積み、教授を含めた全員の能力を高めていく活動そのものにある。
もちろん資料を公開することで、世界中から資料に関するフィードバックが得られるだろうし、本当に授業を受けてみたいと感じた人がやってくるだろうから、大学としても得られることが多いだろう。
そして今日さらに驚きのニュースが飛び込んできた。
マサチューセッツ工科大学、Webで論文を一般公開
これまではアブストラクトまでしか一般公開していなかったのだが、全文読めるようになっている。ただし印刷可能なものはこれまでどおり学内限定。
いやいや、これは思い切った戦略だと思う。決してここら辺の世界情勢に詳しいわけではないので、既に多くの大学などで実施されていることであったら自分の不勉強を恥じるばかりであるが、現状では(少なくとも自分の知る限り)論文を読もうと思うとどのようなメディア形態であれ、一部あたりの費用もしくは年会費を払って読まなければならない閉じられた世界だ。学術団体や論文DBの会社はその費用を運営費としているし、一つのビジネスモデルになっている(はずだ)。
一方で論文の価値を計る指標として「どれだけ他の論文に引用されたか」がある。さらにもっとマクロな視点で見ると、インターネットで世界中が繋がっている今、とある分野の研究が発展するためには多くの人たちが簡単に他人の研究成果にアクセスでき、それを元にさらに進んだ研究に取り組めるような環境、研究者の輪が広がっていくことが非常に大事であることは言うまでもない。
研究者は論文を読んでもらうために書いているのに、簡単には論文を読ませないような仕組みになっているわけだから、単純に考えればこうなっていくべきなんだろうと思う。僕の修士論文も以前から指導教官のWEBサイトに載っていて世界中誰でも読めるようになっているし、多くの研究者はずっと前からそうやって自分の研究成果をオープンにしているのにね。
そして世界中の研究者たちが個人的に自由に繋がり、研究成果を交換し、議論を交わす環境は実際にできあがっている。
そうすると大学はもちろん多くの学術団体(学会)は、会員網という人のネットワーク、シンポジウムという研究成果の交換会、論文や機関誌という研究成果を発表する機会の独占などを提供することで人を引きつけ、資金を得るというビジネスモデルから脱却しなければ将来は無いんじゃないかと思う。もちろん、日本国内に活動を限ったローカルな学会とて例外では無いし、一つの学会がその分野での独占状態を続けられると考えるのもあまりに楽観的だろう。
本質的には、昨今の出版業界や音楽業界がぶち当たっている状況と同じ事が学問の世界でも起ころうとしているというのは、あながち間違っていないと思うのだがどうだろうか。
(写真はMIT Libraryの一つBarker Engineering Library。Great Dome(10号館)のドームの中が使われているちょっとユニークな図書館。僕も修士論文執筆時には度々訪れた。)
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