« 大きな恥をかく前に | トップページ | JAM »

2009年6月13日 (土)

Just face it!

20090613_justfaceit 大きな恥をかく前に小さな恥をかいておく。前回の記事ではそんなことを書いた。もちろん小さな恥もかかずに何事も完璧にこなしていく人たちはいるので、恥は必ずかくべきだと言うつもりはない。

自分はそういった経験をしないと、なかなかやる気にならないという困ったの性格を元来持っているようだし、それはどうやらずっと付き合っていかなければならないようなのでそうしているだけの話だ。そして何よりも、周りの目を気にして取り繕っても、最後にはそこで回避した問題以上に自分が困ることになると信じているからだ。

こういったことを学んだのは実は高校生の時だ。今回はその話を書こうと思う。

僕が通っていた高校は、少なくともその当時はちょっと変わったポリシーを持っていた学校だった。「誇りある自由と規律」と言う歌詞が校歌にも出てくるように校則は学生手帳にも一切書かれていない。あくまで学生が規律というものを理解して、学生たるべき行動を自分の責任において行うべきであり、教師はあくまでセイフティーネットであるとのポリシーだった(教師の中でも色々なスタンスの人がいたが、少なくとも学校の体制としてはそうであった。今でも僕はそう理解している)。

もちろん高校生にそんなことが100%理解できるはずもなく、制約のある自由とは何か、教師と衝突することもあったけれどそれも教育のプロセスだったのかもしれない。当時はそんなスタイルに対しては好きとも嫌いとも思わなかったけれど、入りたいと願った大学は自由な校風で知られる大学だったのだから、多少は感化されていたんだろう。

そういった自由なスタイルが好きでも嫌いでもないと言ったけれど、一つだけは明確に誇りに出来る校風があった。それは中間テストや期末テストの時に試験監督を付けないというやり方だ。つまり先生は試験問題を配って、「始め」というと教員室に帰ってしまい、終わりにまたやってきて「やめ」と言って解答用紙を回収するのだ。

やろうと思えば堂々と好きなだけカンニングが出来る。それでも3年生にもなるとカンニングをする生徒なんて特別な事情を抱えた奴以外はほとんどいなかったんじゃないかと思う。なぜなら、大学受験が現実のものになってくると、カンニングをやって欺いているのは教師ではなくて自分自身だということに気づくからだ。いくら期末試験で良い点数を取ったとしても、それは自分の実力ではないのはその本人が一番よく知っている。
いくら出来なさそうだと分かっていても、自分の実力と向き合っていくしか選択肢は無いことを思い知らされるのだ。かなり前にこの伝統は無くなってしまったらしくとても残念だ。

自分自身から逃げるのは簡単。でもそれはたいていの場合問題を大きくするだけだ。

思い出しても好きな先生とか尊敬している先生なんてほとんどいないけれど、そんなことを教えてくれた学校は好きだったりするから不思議なものだ。

(※後日談)母校では、いつのまにか試験監督をまた廃止したらしいとのこと。経緯は知らないけれど、ユニークで貴重な伝統の復活はとても嬉しい。

« 大きな恥をかく前に | トップページ | JAM »

コメント

>-hiraku-さん
返事が遅くなってごめん。
まぁ最近の大学院生の変化は学校のせいだけではないとは思うけれど、ずいぶん自主性というか、自分でどうすればよいかを考える力は付けさせてもらったと思うね。
もう一度中学生に戻っても受験したいと思うし、考えてみれば確かに良い学校だったのかもね。

最近,大学院生を指導していて,俺らが高3ですでに当然と気づいていたことが彼らには通用しなくて愕然とする.やはり良い高校やったねぇ.

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/176692/30077812

この記事へのトラックバック一覧です: Just face it!:

« 大きな恥をかく前に | トップページ | JAM »