2009年5月16日 (土)

いっちょまえに

20090516_2歳頃から、娘はすこしずつ赤ちゃん卒業の自覚が芽生えてきたようだ。

何でも自分でやりたがるようになってきて、口癖は「じぶんで!」。
親がやってしまうと泣きながら元の状態に戻して自分でやる。
シャツのボタンは、はめたり外したり出来るのが嬉しいようで延々5分くらい繰り返しているときもあるくらい。

親が何かやっていると手伝いたがるようになってきて、ことある毎に「お手伝いしたい!」を連呼。いっちょまえに、ゆで卵の殻をむいたりピーラーで野菜の皮をむいてくれる。布団の上げ下ろしも果敢に挑戦。

色々出来ることがとにかく楽しくてたまらないようなので、急いでいるときも、深呼吸一つ入れてなるべくさせてあげるようにしている。

口もずいぶん達者になってきて、親のやっていることを手伝ったり自分が代わりにやりたいときは「おねぇちゃんになったから、できるのぉ!」「じぶんでやるからねっ!」といっちょまえに言ってくれる。

その一方で出来なかったりやりたくなかったりで親にやって欲しいときには「あかちゃんだからできない・・・。ぱぱ(まま)がやって。」と急に赤ちゃんに戻ってしまう。

そんなときにあきれながら意地悪して「さっきおねえちゃんって言ってたでしょ。出来るでしょ。」と言い聞かせるとキョトンとしてこんな一言が返ってくる。

「なぁにぃ?」

既に、立場の使い分けだけじゃなくて、すっとぼける技も身につけたか。

先日は風呂上がりに「待ってて!」と言うのを無視してドライヤーで髪の毛を乾かしにかかったら、おもちゃを持ちながら・・・
「もー、だからちょっと待っててって言ったでしょうよー。」と過去最高級にいっちょまえな文句を言われてしまった。

言い負けないように頑張ろうと既に気を引き締めているけど、それは準備が早すぎるか。

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2009年2月 1日 (日)

2T

20090201_2t 2月がきて娘が2才になった。
この場で娘のことを報告するのが本当に久し振りなせいもあるけれど、その間の成長っぷりはあまりに目覚ましくて出来るようになった事を挙げるとキリがない。

おもちゃ遊びがとても上手になった。レゴでのゴッコ遊びが大好き。人形の世話をして遊んだりもする。
本を自分で読めるようになった。お気に入りの本は自分で適当に話を作って読んでいる。
自己主張が激しくなった。服は選り好みするし、食器も親と一緒のものを欲しがる。
お友達と一緒に遊べるようになった。手をつないで走り回ったり、一つの物を使って2人で遊べるようになった。
語彙がものすごく増えた。話せることが嬉しいのか、放っているとずっと喋っているか歌っている。
運動能力は格段に向上した。いつの間にヨチヨチ歩きを卒業したのか、すたすた歩いているし、走り出したら僕でも歩いていては追いつけない。公園ですべり台のはしごも登る。暇を見つけては飛び跳ねている。

日本に帰ってきて1年、めざましい成長と共にすっかり日本人になってしまった。英語で話しかけても歌っても全く反応が無くなった。親としてはバイリンガルじゃなくて良いので、とりあえず人としてしっかりと育ってくれれば将来は何とでもなると思っているし、今年ものびのびと楽しんでエキサイティングな一年を過ごしてほしい。

体も随分と大きくなっている。86cmの13.5kg。ふっくらほっぺと、ぽっこりおなかは順調に成長していて服はどんどん小さくなって、95cm、100cmの服の裾を厚く折って着ている。
気になって自分が小さい頃の写真を見てみると2才半頃までは同じような体型をしているので、あと半年でスリムになるはず・・・なるはず。

ちなみにこの記事の題名の2Tはアメリカの服のサイズ。日本の子供服は80cm、90cmと身長でサイズ分けされているけれど、アメリカでは何故か2才以下は月齢(6M、12Mなど)5才以下は年齢(2T、3Tなど)が使われている。アメリカで買い込んできた2Tの服は順調にきつくなっている。

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2008年7月19日 (土)

20080719_1 7月から職場が東京に移ったこともあって久しぶりの更新。
いつの間にか蝉が鳴き始めて祇園さんが終わって梅雨が明けてもうすぐ天神さん。すっかり夏本番だ。

うちの娘ももうすぐ1歳半になるけれど、最近はものの名前に興味が出始めて何でも新しいものを見ると「きょれは?」と質問攻め。それもあってぐっと話せる言葉が増えてきた。
もちろん、単に言葉が増えてきただけじゃない。着たい服を自分で選んだり、したくないことをイヤイヤと主張するし、外へ行ったら自分が親を連れているかのような歩きっぷり。

身長も80cmを越えてきたけれど、それ以上に心が伸びる夏になりそうだ。

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2008年6月13日 (金)

予想外のタイトロープ

20080612 眼下にボストンの見慣れた風景が広がり、飛行機がローガン国際空港に着陸したときに体中に広がったのは不思議と「帰ってきた」という感覚だった。たった一年しか居なかったボストンだけれど「またやってきた」のではなく第二の故郷に帰ってきたと言う感覚だった。ケンブリッジ生まれの娘にとっては文字通り帰ってきたと言えるのだが、僕自身もあまりに濃密な一年を過ごしたからかもしれない。もちろん頑張って娘を産んで育てた妻も同じように不思議な気持ちになっていたらしい。

しかし、ボストンへ到着出来たのは幸運だったと言っていいような往路だった。

今回のアメリカ行きの飛行機は気流が悪くてよく揺れた。機内食を配り始めたCAが途中で一旦中止したくらいだ。それでも大きな問題もなく乗り継ぎ地のワシントンに近づいたときに機長から衝撃のアナウンスが流れた。

「嵐が近づいているためダラス国際空港が閉鎖されました。管制官も避難するとの連絡を受けています」
「本機は給油のため近くの空港に向かいます」

結局飛行機はリッチモンドというよくわからない小さな空港で給油および天候回復を待ち何とか運用が再開されたワシントンへとたどり着くことが出来た。が、乗り継ぎ便は悪天候のためキャンセル・・・。

カスタマーサービスに1時間並んだ結果、その日の便はおろか翌日便も直行便は夜中まで空いておらず、ワシントンに一泊して翌朝にフィラデルフィア経由でボストンに向かうことになってしまった。

さらに荷物だけは当日便で自動的にボストンへ運ばれてしまったため手荷物のみでホテル泊。娘の着替えとおむつだけは手荷物に確保しといて本当に良かった。飛行機に乗るときに極力手荷物で持ち込むべき訳がここにもあった。

 

20080612_a そして翌日は朝から快晴。これは問題なく飛んでくれると思ったところ、飛行機に乗り込んだとたん機長からまたもや衝撃のアナウンスが流れた。

「フィラデルフィアの天候が悪く、当便は35分から60分程度遅れる見込みです。」

これは乗り継ぎ時間が45分しか無かった僕らにとってはクリティカルな問題だ。今日中にボストンに着くことが出来なければはるばるアメリカまで苦労してやってきた意味が無くなってしまう。早速CAや機長にまで相談して、便変更までしたいと申し出たのだが、親切な地上係員がフィラデルフィアからボストンへは1日数便出ていることを確認してくれたのでとりあえず飛んでみることにした。

結果、空港をベビーカーで疾走してなんとか搭乗締め切り1分前に飛行機に乗り込むことが出来たという冷や汗ものの乗り継ぎだった。

昼過ぎにやっとこさボストンに到着。1日ぶりに荷物をピックアップしてホテルへ直行。プリペイド携帯を購入して大学で卒業式のためのガウンと家族参列用のチケットを受け取ったらもうへとへとだった。

こうしてどうにかこうにか3回の経由と、時間的な綱渡りを経てボストンにやってくることが出来た今回のフライトは人生で2番目にしんどかったフライトだった。

1番目はブラジルに行った帰り、既に10時間ほど飛行機に乗った後ロサンジェルスでの乗り換え時、積み荷のバランスが悪いからと空港の片隅で機内に5時間閉じこめられたときだった。最もこのときは離発着する航空機を地上で眺めながら機内食を食べるという類い希なる経験までついてきたけれど。

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2008年3月16日 (日)

相変わらず

帰国して2ヶ月。娘はすっかり日本に慣れたのに加えて歩きたい盛りの時期なようで、とにかく外に遊びに行くのが大好きなのだ。

歩き回ってはいろんな物を観察し、段差をおそるおそる上り下り、調子に乗って走り出そうとしては顔から転ける。屋内でも他の子はその場で遊んでいるのに娘だけは、そこら中を歩き回っているので妻もなかなか目が離せず大変らしい。

それだけ動けば自然と身体が引き締まってきそうなものだけど、相変わらずなのが二重あごとぽっこりお腹。アメリカでは三重あごだった気もするから少しは引き締まったのかもしれないが、洋服のサイズが着丈じゃなくてお腹周りで決まっているのはどうかと思うこのごろ。身長は74cmとそこそこなのに、体重は10kgを越えている。

4月から保育所に通えることになったので、そうすれば日中に食べる量も普通になって少しはへっこむのだろうか。

とはいえ、まだ太い細いを気にする時期でもないと思うし、なにより自分の昔の記録を見ると9ヶ月頃に10kgを越えている事が判明。そりゃ仕方ないか・・・

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2008年2月17日 (日)

新生活スタート

20080216
先週末、三連休の初日はMITでも世話になった旧友夫婦の家に遊びに行った。奇遇にも集まったメンバーは

  • 昨年結婚、この4月から安定した仕事に着く予定(今回のホスト)
  • 先日入籍したところ
  • この春に結婚することを発表したところ
  • 学校卒業して日本に帰ってきて娘が1歳になったところ(自分)

とおめでたい人ばかりだったので、皆がお互いを祝い合う何とも楽しいひとときだった。
積もる話も有りながら、夕方には新幹線(偶然にもN700)に飛び乗って妻の実家へ。帰国後初めて、実に1ヶ月ぶりに娘と妻に再会。
会ったときにどうリアクションするか楽しみにしていた娘は寝起きだったので結果は何にも反応無し。抱いてやっても終始ボーッとしていた。その後、実の父を思い出すのに半日かかったようだが素直になついたので、一緒に過ごす時間を一年間頑張って作った甲斐があったものだ。

そしてアメリカを出発して1ヶ月、ようやく家に全員がそろって帰ってきた。
妻は僕と同じように「なつかし~」を連発。
一方で、大変なのはおそらく状況が全くわからぬままに「我が家」にやってきた娘。急な変化に対応できるほどには成長していないようで、初日はお風呂に一緒に入っても1ミリでも身体が離れようものなら泣いていたし、部屋でも大人しかった。

そんな彼女も、一週間経ってようやく慣れてきたようだ。
家中を嬉々として引っかき回し、お風呂では以前紹介したラバーダックと本で楽しそうに遊んでいる。

元気な娘を見るのは楽しいけれど、親二人はまだまだ振り回されっぱなし。平日は仕事が終わって帰宅してから一日の残り半分が始まる感じです。

それでも楽しいと思えるのは、最近或る事を改めて実感しているからかもしれない。

「親は子供からいろんな事を学んで人として成長する」

何を学んでいるのかを正確に言葉で表すことはできないけれど、忘れてしまった自分の幼少期の記憶を取り戻しているような、それと同時に娘を介して自分という人間の本質を見ているような不思議な気分。

とある友人が「日々の成長を見守る、すてきな時間を・・・」というメッセージをくれたけれど、僕が見守っているのは実は自分自身なのかもしれない。
もちろん「見守る」と言うほど平穏なものではなくて「戦っている」と言った方がしっくり来るけれど(笑)

(写真は蜜柑と携帯、やっと夫婦で電話を持った)

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2008年2月 2日 (土)

あれから一年

20080201 あれは寝る暇もなく授業やグループワークに追われた1月、留学最初の1ヶ月がなんとか終わってホッとしているときだった。日付が変わった頃に病院へ車を飛ばし、夜を徹するどころかもう一度太陽が沈んだ頃に生まれた娘は、手のひらに頭を乗せると足が肘まで届かないくらい小さかった。

それが今や身長1.5倍、体重3倍、物入れの引き出しまで自分で開けられるようになって、手にするあらゆるものにかじりつき、ハイハイはとっくに卒業して走り出さんばかりの娘と当時の写真を見比べると、あっという間だった気がする一年が、実はものすごく長かったんだと思い直してしまう。

毎日が思い出に残るくらい濃密な一年だったから、娘が生まれる瞬間からずっと一緒に過ごして来た一年はしんどかったけど楽しかった。子育てはかなり参加してきた自負はあるけれど、勉強の合間にだけ面倒を見ればいい僕と違って、手のかかる娘を24時間世話してきた妻に心から感謝したい。

帰国して実家に帰ってから急激な環境の変化のせいか、ずっとお腹を壊したり熱が出たりと体調が万全ではないけれど、基本的には問題なく1歳の誕生日を迎えられたのは本当に妻のおかげである。

実家から帰ってきたら1ヶ月会っていない娘の誕生日を祝ってしっかり遊んでやろうと思う。そして妻にも少しは自由時間を作ってやりたい。

(写真はお風呂用の絵本と3匹のラバーダック。プレゼントに貰ってせっかく持って帰ってきたのに出番はもう少し先になりそうだ。)

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2008年1月11日 (金)

脱走

今日は朝一番から引越の荷出し。力仕事は業者が全てやってくれるとはいえ、通関手続きの書類作成や業者とのコミュニケーションに忙しい。

と、気がつくと娘がいない。ちゃんと目を付けてくれていた義母が言うには「今ドアから廊下に出たとこ、5mも行けば泣いてすぐ戻ってくるわ」。

20080110_1 20080110_2 今日は朝からドアが開けっ放しだったので家の外が気になったのだろう。おぼつかない足取りでテケテケと歩いている。

ドアの陰から見守っていると驚いたことにいつまでたっても戻ってこない。道草を食いながらもどんどん家から離れていく。とうとう30mくらい離れたところまで行って、1人で遊びだしてしまった。最後にはドアにまだクリスマスのシールが張ってある家のドアをたたき始めてしまったのであわてて確保。

短い時間とはいえ、親べったりじゃなくて1人で遊べるようになったのは偉い。でもちょっと先が思いやられる出来事だった。

保育所に行きだしたら一度は脱走するんだろうな。

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2008年1月 5日 (土)

11ヶ月目の変化

20080104_220080104_1新年を迎えて娘も11ヶ月になった。あと一ヶ月も経たないうちに満一歳。将来何も覚えていないはずの最初の誕生日は何をしてやるのが良いのだろうか。できれば大きくなってから写真を見ても1歳の時点でも本人に楽しんでもらいたいので、まだ食べられないデコレーションケーキとかじゃなくて彼女が実際に食べられるものの方がいいし、プレゼントなら使える物がいい。などと、悩むのも楽しい。

最近の娘は最初の一歩を踏み出してから2週間で既に2~3mは歩けるようになったし、それ以外にもめざましい変化を遂げている。

できるわけもないのに靴下を履こうとしたり帽子を被ろうとする(ように見える程度だけど)。でもジップロックは開けられるようになった。ほ乳瓶のふたも自分で閉める。くっく(靴)とか、まんま(ご飯)などと物の名前を覚えて言えるようになってきた。好きなオモチャや遊び方も変わってきたし、一緒に遊んでいるときの反応の仕方も変わってきて急に子供っぽくなってきた。

体重9.5kg、身長75.5cm。身体も大きくなったのに合わせて乳児から幼児へと急激に変化しているのだろうか。満一歳の時点では何ができて何をして遊ぶのが好きなのか全く予想できない。

とりあえず明日の土曜日は何をする予定も無いので観察がてら娘と遊んでやることにしようと思う。

ということを妻に伝えたら驚かれた。
「(宿題など学校関係の)予定が何もない休日ってこの一年で初めてやん!」と。

これはいくら何でも大げさだ。NYへ行った週末は完全な休暇だったので覚えているだけでも2回はあったはずなのだ。

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2007年12月23日 (日)

First Walk

20071222_2 我が家を襲った風邪は収束に近づいているもののまだ治りきっていないので、この寒さの中出かけるわけにも行かずアメリカのクリスマスをあまり楽しめずにいるのが残念。

とはいえ、年が明けるといよいよ家の中から家具がどんどん売られて無くなっていくので今のうちにと仲の良いクラスメート夫婦を何組か招待して簡単なお食事会を開いた。鶏と卵の酢醤油煮、もやしの酢の物、お好み焼き、うどん、ちらし寿司とアメリカの日本食店ではあまり味わえない和食を堪能してもらい、楽しいひとときを過ごすことができた。

娘は見慣れない人たちの前ではいつも「おりこうさん」でおとなしい。このときも最初はオモチャで静かに遊びながらじっと来客たちを眺めていた。それでも30分も経てば慣れてきて普段通りのやんちゃぶりを発揮。。10ヶ月にしてかわいがってもらうコツを知っているとしか思えないくらいに愛嬌を振りまいてしっかり遊んでもらう。

そうやって遊んでいる最中にいきなり4歩くらい歩いたのでその場にいた一同びっくり。最近はつかまり立ちの後は手を離しても立っていられて、さらには腰を振って踊ることができるようになっていたのでそれを得意げに披露していた最中だったのだけど皆の見守る中でFirst Walkを披露してくれました。

その他にも最近は親の言葉の違いを理解して身振りで返せるようになりました。
「はろー」と言えば手を挙げる。
「ばいばい」は手を振る。
「いただきます」と「ごちそうさま」は手を合わせて(近づけて)お辞儀。
「ぱちぱち」は手をたたく(さすがに音は出ません)。
もちろん気が向いたときにしかやらないし、まだ言葉の意味は全く意味は分かっていないので食事中に何度もいただきますをやってくれる。

それでも全くできなかったことができるようになる、ゼロからイチへの変化は何度見ても感動するものがある。親バカってのは多分この感動から生まれるんだろうなと思うこの頃。
我が子の画期的な変化をビデオに撮ってYouTubeにアップする親の気持ちも分かる気がする(やらないけど)。

クリスマスイルミネーションを見に行けないのは残念だけど、娘とこれだけゆっくり過ごせる日々も日本に帰って復職すれば無いわけで、考えようによっては貴重ないいクリスマスを迎えている。

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2007年11月 9日 (金)

パワフルガール

20071108_1 11月に入って気がついたら娘は既に満9ヶ月。ハイハイもさらに高速化して、つかまり立ちだけじゃなくてつかまり屈伸まで自由にできるようになったせいか身体も締まってきて体重も少し減ってきた。身長まで減ったのは重力のせい?(先月の測定誤差でしょうが)
歯も下2本がしっかり生えて今度は上の歯が生えてきた。食べられるものも増えたし、シリアルも上手に指でつかんで食べられる用になったし相変わらず成長著しい。

精神的にもかなり成長してきたようで、これまでハイハイが自由にできるようになるまではだっこしていればご機嫌だったのが、最近は周りにあるもの全てさわりに行かないと気が済まないらしく何かを見つけると、ひたすら腕の中から脱出を試みる。好奇心の塊以外の何者でもない。遠くの物が気になれば親から離れて行くことも度々出てきた。にもかかわらず近くにいて注目していないとだめみたいで難しい。
さらには一人で立てないと分かっているにもかかわらず、つかまり立ちしたらテーブルやソファーの上にある物を両手でつかみに行くので決まってこける。たまに両手を宙に上げて一人で立とうとしてこける。そしてなぜか嬉しそう。

そんな成長著しい娘もやっぱり予防接種は苦手。今月は特に受けないといけない予防接種はなかったけれど定期検診の採血と、念のためのインフルエンザの予防接種を受けに妻が病院に連れて行った。インフルエンザの注射はチクッとするだけですぐ済むのだがご存じの通り採血はそうもいかない。僕はその場にいなかったのだが暴れて大変だったらしく、妻がだっこして看護師さん1人が足を、もう1人が手を押さえた上でやっと医師が採血と4人がかりで必死に終わらせたらしい。
おまけにうちの娘は泣き声も大きくて家でも寝室で泣くと壁に反射して共鳴するくらいなので余計に大変。みんな終わった後はぐったりだったらしく、医師が最後に一言"Huu, powerful girl, dear."と言っていたらしい。「血液検査の結果が悪かったら連絡するけど、この様子だと多分心配ないと思う」と言われて嬉しいやら恥ずかしいやら。

もう一つ、親と離れて預けられるのが苦手。9月から妻が週2回通い出したMITの奥様向け英会話は、同じ建屋の空き部屋でベビーシッターが子供の面倒をみてくれるサービス付きなので2時間ほど預けている。日によっては機嫌良く遊んでいるらしいが時には放っておけないくらい泣くらしい。他の子ももちろん泣くけれどひときわ激しいようでベビーシッターに2時間ずっと交代でだっこしてもらっていることもあるらしい。

日本に帰って保育所に入れたら2時間どころか1日中預けなきゃならないし、予防接種もいろいろ受けなくちゃならないし、これから先が思いやられる。

誰に似たのかは何となく気がついているけど。

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2007年10月 2日 (火)

満8ヶ月

20071001_1 今日で娘も満8ヶ月。この1ヶ月で出来ることが本当に増えた。赤ん坊の成長スピードの早さには飽きることなくいちいち驚かされる。身長73cm、体重9.2kg、身長伸びたなぁ。
離乳食で多少硬いものが食べられるようになった。しかも食べ過ぎじゃないかと心配になるくらい沢山食べる。お粥やら何やらで容量にすると朝夕各250mlくらい食べているらしい。数日前には下の前歯が2本生えてきた。ハイハイができるようになった。少ししか進めないだろうと思っているといつの間にかリビングの端から端まで移動していたりするし、この前は寝転がっていると僕の上を乗り越えていった。つかまり膝立ちも出来る。おもちゃでよく遊ぶようになった。ピアノや太鼓のおもちゃも囓るだけではなく叩くべきところを叩いて遊ぶ。そうすれば音が出ることがわかっているのかもしれない。

こうやって出来ることが急激に増えていく経験を覚えていられれば楽しいだろうなと思うけど、深層記憶にしか残らないのはもったいない気がする。どんなに才能豊かな大人でもスポーツや勉強を赤ん坊が基本を覚えるスピードと同じ早さで身につけることは出来ないだろう。

自分自身、もう一度赤ん坊に戻りたいとはあまり思わないけれど、こうやって人が1人成長していくのを間近で見るのは一生に一度は経験する価値が有るのかなと近頃思い始めたりする。

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2007年10月 1日 (月)

千客万来

20070930_1 今日でもう9月が終わる。秋学期も1/4終わったことになるし、卒業するための論文締め切りが現実のものとなって見え始めてきたと同時にそこまでの道のりが果てしなく遠く見えてきたのも事実だ。帰国スケジュールも大体決まったことだし、引っ越し準備も含めてやらないといけないことは山ほどある。頑張らなくては。

そんな9月は一番来客が多い一ヶ月だった。航空券の高い夏休みが終わったため、親、兄弟、友人がほぼ週替わりで我が家に泊まりに来てくれたからだ。残念ながら自分は学校の忙しさにかまけて客人を放ったらかしにしているけれど、妻と娘は一緒に観光や遊ぶ機会が増えて楽しそうだ。

特に昨日から来てくれている友人は子供も一緒に来てくれた。どうも娘の人見知りは軽いのか一緒に遊んでもらえて終止大はしゃぎ。この1~2ヶ月で出来ることがとても多くなったことも幸いして遊べるおもちゃも増えてきたのでなおさらだ。もちろんブロックで遊ぶといってもまだ娘は破壊して、口に入れるか投げるしかしないけれど彼女なりに一緒に楽しく遊んでいるらしいし友人の娘さんもお姉ちゃんとして面倒をみるのが新鮮なのか、それなりに楽しそう。やはり家はにぎやかな方が楽しい。

出来れば来週末は紅葉を見に隣のNew Hampshireまで出かけてこよう。

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2007年8月 3日 (金)

アンバランス

20070801_2 一昨日、久々に本格的なバスケのゲームをやった。SDMプログラムと施設を共用しているLFMプログラムの学生達と一緒にやったのだけれど、彼らはSDMと比べて平均年齢が5~6歳若いだけあって手抜きでプレーしている余裕がない。というか久々のバスケだったこともあって頭じゃわかっているのに体が全然動かずもどかしい思いをすることになった。

一方で娘は昨日無事に6ヶ月を迎えた。週末には機嫌が良ければ記念写真でも撮りに行こうかと思っている。
ちょっと前には一人遊びを覚えて手が少しかからなくなったかと思いきや、最近は認識能力が上がってきたのと興味対象が広がっているので、逆に手がかかるようになってきた。
一緒に遊んでやると反応がハッキリしてきたのは嬉しいけれど、親の姿が見えていても一緒に遊んであげなければ泣くし、周りの興味あるものにどんどん手を伸ばすけれど届かなかったり上手く扱えなかったりでまた泣く。気がつくとコロコロと転がって行ってはゴミ箱をひっくり返したりで彼女なりに移動手段を身につけているけれど、本人はまだまだ思うとおりにいかないことが不満みたいで最近はいらいらしたりご機嫌斜めな時間が増えている。
この一ヶ月は身長も体重もほとんど増えなかったので(すごく動くようになったので少しスリムにはなった気がする)頭の成長に体が追いついていない感じか?
まぁしっかり泣いて遊んでいればそのうち自分で解決するだろう。

こちらも今年後半の論文作成のために、夏の内に体を作って体力を蓄えておかねば。

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2007年7月29日 (日)

アメリカ

20070728_1 昨日やっとアメリカのパスポートが郵便で送られてきた。もちろん自分のではなくて娘のパスポートだ。
4月下旬に申し込んだのでたっぷり3ヶ月以上かかったことになる。やっと日米両方のパスポートが揃った。
通常は3~4週間で発行手続きが終わるらしいけれど、現在10~12週間かかっているということが国務省のホームページにも出ていたのと、発行手続き中であることがWeb上で確認できていたし、ここはアメリカなのであまり焦ることもなく待っていた。
日本のように情報は全く出てこないけれど変動にも頑張って対応するシステムと、アメリカのように変動にはあまり頑張って対応しないけれど情報提供をきっちりするシステムの違いが見えてきて面白い。どちらがいいというわけでもないけれど、ところ変わればである。

しかし自分の娘がアメリカ国籍を持っているというのは当たり前のことなんだけど、娘がアメリカ人だ、というには感情的にはちょっと不思議なところがある。
二重国籍だからと言って何が変わるわけでもないし、責任は親にあるとしても本人の問題なのであと20年経ったときに好きにすればいいとは思っている。とはいえ、親としてはそのときにはどちらを選ぶにせよ複雑な気持ちになるんだろうな。
20070728_3 なんてことを本人は知るよしもなく今日も元気に遊んでは、変な寝相で昼寝をしている。まっすぐ置いたのに・・・。

 

 

さて、パスポート自体は日本もアメリカも最近流行?のICパスポートになっていて、プラスティックを含浸させた厚紙が挟まっていて少し堅い。ただ、アメリカのパスポートは日本のパスポートとちょっと雰囲気が違って面白い。何かというと各ページにアメリカの歴史や風景を彷彿させるイメージイラストが全面に薄く描かれていて結構派手なのだ。西部開拓時代、ネイティブアメリカンの生活、山河の自然風景、バッファローと鷲と草原、自由の女神など。それに加えて歴史上の人物が残した言葉が各ページに書かれているのも面白い。日本ではなかなか無い発想だと思うけれど僕は結構好きである。自分の日本のパスポートを開いて各ページを見たくなるなんて事はなかったし。

20070728_2 そうやってぱらぱらとページをめくっていくと、最後のICが埋め込まれているページのイラストは宇宙開発がテーマだ。アメリカにおける宇宙開発のステータスの高さにちょっと感動してしまった。でもよく見るとイラストは地球、月(1970年代のアポロのイメージ?)、そして飛んでいる探査機はアポロではなくパイオニア(1972年打ち上げ)だろう。そして著名人の言葉はEllison Shoji Onizuka(鬼塚承二)氏。1986年のスペースシャトル、チャレンジャー号の爆発事故で亡くなってしまった宇宙飛行士とどれをとっても古いものばかりで、1980年頃を境にアメリカの宇宙開発も人々の心に届いていないのかと、ちょっとうがった見方をしてしまった。

"Every generation has the obligation to free men's minds for a look at new worlds... to look out from a higher plateau than the last generation."
どの世代の人たちも自由な心を持っていなければならない、前の世代が到達できなかった高みから新しい世界を見渡すための心を。
-Ellison S. Onizuka-

もちろん、自分の子供達が自分たちを乗り越えていける土台を築いた上で・・・いい言葉なんだけどな。

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2007年7月16日 (月)

人生最初の小さな世界

20070715_1 これまでは手に触れたものが何かを確かめるかのように握って遊んだり口に持っていったりしていたのに、ふと気がついたらいつの間にか周りにある見えるもの全てが気になってしょうがないらしく片っ端から手を伸ばしている。今日もお風呂に入れてあげると水面をばしゃばしゃたたいては不思議そうにしているし跳ね返ったお湯が顔にかかると驚いている。広い世界を知っていくその第一歩を踏み出しているのだ。

更に驚いたことに、これまで口に入れれば飲むだけだったほ乳瓶も自分で持って飲めるようになってしまっていた。もちろん気が向いたときしか持たないし、ちゃんと握れないので頻繁に落とすし、底を上げないと飲めない事がわかっていないので振り回したりしているけれど正直に言って唖然としてしまった。

当の本人もどうやら急に世界観が広まったことにまだしっくり来ないのか戸惑っているのか、夜の眠りが浅かったりちょっとしたことで泣き出したりと神経質になっているようだ。

この一週間は、朝から学校に行って夜8~10時過ぎに帰ってきては夜中まで宿題や勉強、という生活が続いていたので出来ても娘をお風呂に入れてあげるくら いだった。どうやらその間に1つ壁を越えてしまったようだ。不思議なもので何事も1つ1つ徐々に出来るようになるとはいえ、その成長が内に秘められてい る時期と一度に外に出てくる時期がある事に気づかされる。

「子供を持つとなぁ、生命ってものが何かを理解できるんだよ」と言っていたクラスメートの言葉は本当だと思うけれど、これがもう2ヶ月もするとそこら中をはい回って手当たり次第にあらゆるものを引っかき回すと考えると楽しみとはいえちょっと恐ろしくなる。

それも生命ってやつの定めか。

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2007年7月 2日 (月)

5ヶ月

20070701_2 今日から7月が始まった。ということで娘も生後満5ヶ月。4ヶ月検診の時に打った予防接種で少し熱が出たことと、一度血便が出た(この時期の乳児には良くあることらしく何とも無かった)以外は全くけがも病気もせずにすくすくと元気に育っている。体重8.0kg、身長67cm。

4ヶ月を1週間過ぎるか過ぎないかの頃に、右肩支点で仰向けから腹ばいへの寝返りを覚えてからは腹ばいで遊ぶのが好きなようで、寝かせるたびに寝返りを打っている。そのくせ仰向けに戻れないので昼夜を問わず飽きると泣いて妻を困らせている。最近は逆方向の寝返りを覚えるそぶりがないのに、腹ばいでおしりを上げてずりずりと前進しかねない動きを見せているので寝返りを完全にマスターする前にハイハイしそうな勢いだ。

おもちゃにもすごく興味を示していて、新しいおもちゃを買ってあげたときの嬉しそうな顔は忘れられない。そして両手でつかんでは手当たり次第に口に持って行く。

周りにある色々なものに対する認識能力もすごく上がっていて成長っぷりに目を見張ると共に、ごまかしにくくなっていて困ったものだ。

とまぁそんな風に周りの全てを一生懸命感じて泣いて笑って離乳食も頑張って食べて必死で寝返りしておもちゃと格闘するかのごとく果敢に口に運んでいる娘を見ていると、子供は楽でいいなぁと思っていた感覚が変わっていることに気づかされる。
あと半年、日本に帰るまでに娘に負けないよう自分も頑張らねば。

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2007年6月10日 (日)

Japanese passport

20070609_12 日本にいる親に頼んで取り寄せてもらった娘の戸籍謄本がようやく手元に届いた。発行手数料を支払う手段が郵便小為替だけというのは本当にやめて欲しい。クレジットカードで払えるようになるのはいつの日か。とにかく今は親に感謝である。
というわけで、万が一としても緊急帰国する可能性はあるわけで、早速ボストン領事館まで出かけて娘のパスポートを申請してきた。

今回も写真は自分で撮影。ただしアメリカのようにシーツのしわが写っていたらダメだと言われる気もしたので、授業で余った大きなポスター用紙の上に寝かせて綺麗な背景の上で、苦労して笑顔を撮る。撮ったらもちろんお店でプリント。

ボストン領事館での申請手続きはとても簡単。空いているので待ち時間もほとんどゼロ。娘の戸籍にはアメリカのミドルネームを入れていないけれど、パスポートにはミドルネームを別名表記という形で入れることにした。アメリカのパスポートにあるミドルネームが無いと同一人物であることの照合に支障をきたした話を聞いたためだ。普通なら[名字][名前]でタイプされるところが[名字] [名前] ( [名前] [ミドルネーム] )と言う形でパスポートには記載される。署名の欄はもちろん代筆したけれど、妻に「きたなーい」と怒られてしまった。

と言うことが有りながらも無事に申請終了。受け取りはなんと1週間後からできる。早い!郵送で事が済むアメリカとは違って、必ず本人が来なくてはならないらしいので娘を連れて出かけていかなければならないのは面倒だけど早いのは良い。ちなみに、2ヶ月以上前に申請したアメリカのパスポートはまだ発行されない。

僕には、多少面倒でもきっちりやってくれる日本の方が性に合っている。もちろんもうちょっと簡便にしてくれればいいのは間違いないけれど。

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2007年5月23日 (水)

御食い初め

20070522_1 昨日は娘が生まれてからちょうど110日目、ということで御食い初めの儀。
本当は100日目にしようと思っていたけれど、春学期の終わりで非常に忙しかったのと妻が風邪をひいていたので繰り下げたらたまたま110日目になったと言うだけの話。もっとも地方によっては101日目、110日目、120日目と色々あるようだし、献立も千差万別のようなのであまり気にしてはいない。

今回の献立は、赤飯、鯛の塩焼き、蛤の潮汁三つ葉添え、南瓜の煮物、菜の花のおひたし芥子醤油和え。鯛と南瓜は代用品だけど、ボストンでも立派に日本と同じ祝い膳ができあがった。
御食い初めの口上があるらしいけどそれは知らないので、娘が食べ物に困らないよう好き嫌いが無いようになどと適当に祈りの言葉を述べてから、ご飯→汁→ご飯→焼き物を娘の口元へ持って行く動作を3回繰り返して、最後にお箸を小石に当ててから娘の上下歯茎へ、ちょん。これは僕も知らなかったけど石のように丈夫な歯が揃いますようにということらしい(さすが妻)。ちなみに少し苦いだろう鯛の塩焼き以外は娘も味を楽しんでいた。

良く100日も元気に生き延びたな~すごいな~などと、祝い膳を食べながら妻と大げさに話して、自分たちのボストンに来てからの150日を振り返ったのでした。

しかし御食い初めって英語でどうやって説明するんだろ?First Bite・・・とはちょっと違うな。誰か知りませんか?

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2007年4月22日 (日)

American Passport

20070418_1 もう少し娘が大きくなったら休みに合わせてボストンを離れ、どこかに遊びに行きたいと思っているのだけれども娘の身分証明書(写真入りID)が何もないことに気がついた。
日本のパスポートは先述の通り、あと一ヶ月くらいしないと申請できないので日本のIDはすぐに取れない。というわけで、学校がたまたま休みになった日を利用してアメリカのパスポートの申請に行ってきた。

アメリカのパスポート申請にはDS-11という公文フォーマットがあるのだけれども、WEBからダウンロード&印刷して手書きで記入できるのに加えて、オンラインのフォームに入力すると整形されたPDFファイルがダウンロードできるので、印刷するとそのまま申請できる。フォーマットがWEBにさえ載っていない日本領事館とは雲泥の差だ。

もちろん写真が要るのだけれども、写真屋さんで撮ってもらうのも高いし、何より娘の機嫌が良いとは限らないので白いシーツの上に寝かせてデジカメで笑顔を撮って、規定に合うようサイズ変更した後にお店でプリント&カット。2枚で53¢なり。

パスポートの申請は公的な機関に行ってもいいけれども、大きな郵便局でもできるのでそれを使わない手はない。車で10分の所にある(といっても10km以上あるけど)郵便局に家族でGo!

窓口で写真と書類を手渡す。写真の背景はしわが寄っていて白じゃなくてグレーの所もあってシーツと一目でわかるけれどもここはアメリカ。「写真はこれ?背景は白じゃないとだめなんだけど、うーん、まぁ大丈夫だろうねぇ」という一言でOK。14歳以下の場合は両親のサインが要るので二人でパスポート見せてサインして娘のサインを代筆して手数料$82払っておしまい。この間5分の出来事でした。

パスポートはこれまた日本と違って、申請書に書いた住所に郵便で送られてくるとのこと。ことごとく便利だけれど、あれだけいい加減な郵便システムがここまで信用されているのに驚き。「交付は1.5ヶ月くらいかかるけれども3~4ヶ月前に申請する事をお勧めします。」と言う言葉の意味をついつい邪推してしまう。
とはいえどうしようもないので、後は無事に送られてくるのを待つのみ。

一つだけ心残りがあるとすれば、代筆した娘のサインをかなりいい加減に書いてしまったこと・・・・・ま、5年後もまだアルファベット読めないだろうし、いっか・・・

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2007年4月 3日 (火)

Sigma

20070402_2 日本でも新年度が始まって、新社会人が街にあふれている頃だと思うけれども、
こちらはつかの間の忙しいSpring Breakが終わって今日から春学期の後半(H2)が始まった。
新しい授業もいくつか始まっているのだけれども、このサイトでの授業紹介はまだ1月終盤・・・紹介するにはもう少し時間がかかりそう。
スラムダンクのようにならないよう頑張ります。

と、同時に今日は娘も2ヶ月検診で妻が連れて病院へ。
そうしたら、予防接種を打つはずだったのがワクチンが古いのしかないとかで再び予約を取る羽目に。
やはりアメリカ、Easy Go Luckyの精神もここまで来るとあきらめるしかない。
身体検査だけしてもらったらしいのだけれども、至極健康で問題なし。

それでも一つだけ恐れていたことが現実に・・・・。

彼女は成長曲線の平均を上回る勢いで成長してます・・・・アメリカ人の。
身長体重頭囲共にアメリカ人の65~75%のところに位置している。正規分布の1σに収まってないかも・・・
まぁ親が日本人の2σの上限に沿って成長したから仕方ないけど、どこまで育つ事やら。
楽しみな反面、苦労するんだろうなぁと我が人生を振り返る。

あと、アメリカ人の成長曲線を眺めていて面白かったのは、身長と体重は分散が3歳まであまり変わらないのに、体重だけは上側の分散がどんどん大きくなっていくこと。
やはり子供のうちから肥満が多いのかもしれない。
この一年はアメリカナイズされずにヘルシーに育てようと決意したのでした。

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2007年3月29日 (木)

Birth Registratoin

20070328_1 3月も最終週になって道ばたの雪もほとんど無くなり、昼間はコートが無くても大丈夫な陽気の日も増えてきた。今日は春一番と呼べそうな強い風が舞っていた。そして学校はなんとか春学期の前半が終了、今週はつかの間のSpring Breakだ。が、宿題が山盛りで全然ブレイクにならんと皆で文句を言いながら学校に通う毎日が続いているのが現状。

それでも昼間は多少時間の都合がつくので、やっと2ヶ月越しの懸案事項だった娘の出生届けを出しにボストン日本領事館まで足を運んできた。
というのも、娘が生まれた病院があるケンブリッジ市では、アメリカの出生届は病院で手続きができて、10日程度で市に登録されるけれど、日本国籍を希望する場合は、基本的に3ヶ月以内に「日本国籍を留保する」という申請を出しに行かなければならないからだ。留保するというのは変な気もするけれども、22年後までに本人が日本国籍を持つかどうか選択するので仮に持つということのようだ。

領事館が入っている政府ビルはさすがに警備が厳重で、入り口で身分証明書を見せて荷物をX線にかけて金属探知機くぐって、入館番号シールを胸に貼ってようやく14Fの領事館へGo。

そしてこの手の手続きにありがちなのだけれども、多分に漏れず謎が多い。
なぜか申請書を2通手書きで書いて(カーボンコピーにして欲しい・・・)、印鑑代わりに拇印を押す。確かにこちらでは印鑑なんて全く使わないけれど、人一倍大きな指のさらに親指で押すので異様にでかい。
本籍や戸籍の筆頭者なども書く欄があるけれども、戸籍謄本を念のため妻が持っていたので何とかクリア。
それからアメリカの出生登録証2通となぜか必要なその翻訳2通を提出。(用紙は窓口でもらえるけれども、不親切にもHPにはその情報ナシです。無駄に自作しちゃいました)
アメリカの出生登録証はなぜかコピーを取られて返ってきたので、不思議に思って聞いてみたら「証明書発行してもらうのはお金かかるのでコピー取ってお返ししてます」「1通でもいいけどなるべく2通持ってきてください」とのこと。一見意味不明だけれども官僚的制約の範囲で気を遣ってくれてるんだろうと無理矢理理解。
最後に必要と思っていなかったパスポートを求められたのだけれど、両親の片方だけでいいということで、持っていた妻の分でクリア。

というわけで手続き完了。これで娘も晴れて日本人である。

なんだけれどもここから先が長い。
なぜか戸籍に登録されるまで1.5ヶ月ほどかかるらしく、その後本籍地の役所から戸籍謄本を取り寄せてやっと日本のパスポートを申請できるらしい。
で、戸籍謄本を取り寄せるためには定額小為替を送らなければならない、ってアメリカから手続きできるのか??
最終的に娘のパスポートを手に入れるのは夏になりそうな予感。

一方のアメリカのパスポート申請なのだけれども、どうも郵便局でできるらしい。
クラスメート曰く「めっちゃ簡単」らしい。さすが合理主義の国。
とはいえ、アメリカだけに事務手続きにはなにか落とし穴がありそうだけれども。

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2007年2月28日 (水)

Going out!

20070227_1 まだ生後1ヶ月も経っていないけれども、土曜日は出産後初めての本格的なお出かけ。
日本であればお宮参りが初の外出となるんだろうけれども、こちらでは生後3日目と2週間とで病院に連れて行くし娘は義母の経験からするとかなりたくましいようなのでボストンの中心街まで一日のお出かけに連れ出した。
妻も病院とスーパー以外へのお出かけは出産後初めてだし、心なしかうきうきしている模様。
最高気温が零度くらいの結構寒い日だったのでぐずらないか心配だったけれどもベビーカーに乗せて動いているときは不思議なくらいずっと寝ていた。逆に止まっていると面白くないのかぐずり出す。うーん、なんかどっかで聞いたような話・・・。

お昼ご飯はフードコートだったので、娘は初めて体験する広さと明るさとにぎやかさで、ちょっとびっくりしていたけれども家にいるときからは考えられないくらい行儀が良かった。・・・これもどこかで聞いたような話。

ボストンの歩道は歴史があるからだかどうかは知らないけれど、煉瓦敷きが多い上に基本的に舗装が悪いのでベビーカーはがたがた言いっぱなし。それでもこちらのベビーカーは車輪が大きいので問題なし。やっぱりデザインにはそれなりの理由があるんだなと納得。
それでも困ったのは地下鉄の乗り換えなどで、エレベーターやエスカレーターが近くに無かったりしてかなり不便だったことと、グリーンラインの電車は構造上、日本のバスみたいに2段くらい階段を上がらないと乗れなかったこと。子連れで動く大変さを初めて思い知ったのでした。

そして日曜日はあと10日で帰国する義母のお礼に近所のシーフードレストランへ。アメリカでの出産は本当に義母の助けが無ければどうなっていたかわからない。その感謝の気持ちを込めて、今日ばかりはロブスターなどの魚介を中心に、おいしい料理を堪能してもらった。ついでに妻も生牡蠣を一年ぶりに解禁して堪能。
アメリカという不慣れな土地だということもあったけれども、今振り返ってみると夫婦二人だけで出産を乗り切るのは難しかっただろうし、自分も学生としても1月を乗り切れたかどうかは疑わしいなとしみじみ思う。
来て欲しいと言ったわけではなかったし、何も言わずにただ単に来てくれたのだけれども、義母は心配だったんだろうし初めからわかっていたんだろうなと、心から感謝。

で、当の本人はやっぱり幼児用カーシートの中で、お食事中も含めて家に着くまでずっとぐっすりお休みなのでした。
そう、なぜか家に着くまでは・・・・。

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2007年2月12日 (月)

Umbilical code

20070211_2 数日前に娘のへその緒が取れた。生後1週間程度なのでそんなものらしい。アメリカでは2cmくらい残してへその緒を切って、お菓子の袋を留めるようなクリップで先をつまんでおくのが一般的なようで、うちも多分に漏れずそうだった。で、結果的にアメリカで出産を経験した大勢の人が、そんなへその緒を見て同じような表現を残している。

はなくそ

娘には悪いけれど確かにそんな感じがしないでもない。
一方で出産時にもらったへその緒の先(本当はなんて言うんでしょうかね)は、親の適当なアドバイス通りに乾燥している洗面所に置いていたら完全に干物になった。

ということで、我が家では将来子供が喜ぶかどうかは全く気にせずにどちらも大事に取っておくことにしたのだけれども、当然こちらでは保管用の桐の箱なんて売っていないので、日本に帰るまでは乾燥剤入りのZiplocに入れておく予定だったりする。

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2007年2月 4日 (日)

Delivery by husband

20070202_2 アメリカでの出産は大変でありつつも貴重な経験だった。

特に夫の立場として強く思う事が多かった。

聞きかじっていた日本の出産とは色々と違うんだろうなと思うことがあったのでそれをいくつか。


  • Midwife

こちらの病院にはMidwifeという肩書きの人がいる。日本で言う助産婦さんに似ているかもしれないけれども、日本で最近問題になっていたらしい助産婦さんよりも権限が有るようで、出産までのほとんどをMidfwifeが担当していた。医師じゃないとできないと言われたのは麻酔と吸引と帝王切開くらいだった(他にもあるんだろうけれど)。

  • インフォームド・コンセント

これは日本でも既に当たり前なのかもしれないけれど、無痛分娩のための脊髄麻酔と帝王切開の前にはMidwifeが、これをすることによって起こることとリスクを説明してくれて本人にサインさせる。その他薬を使うときなどには必ず本人に「こういう事をするけどOK?」とか「こういうオプションが有るけどどれがいい?」といちいち聞いてくるのでした。

  • Birthing Room

日本で言う分娩室だけれども、立ち会う家族が全員いられるようになっていた。立会人1人が寝られるソファーベッドとか、リラックスのためのCDプレーヤーまで置いてある。どちらも結局使わずじまいだったけれども。それからジャグジーつきのユニットバスがあって、陣痛を緩和するためにお湯につかる。これは妻もかなり陣痛が和らぐ効果が有ったと驚いていた。

  • 夫の役割

夫は分娩中忙しい。気分的に座ってみてられないと言うこともあるけれど、単に妻を励ますだけじゃなくてほとんどMidwifeの助手みたいなもんでした。何か重要な手伝いをするときにはお義母さんには部屋から出てもらうように言われたし全て夫の仕事のようだった。途中からは気にする暇も無かったけど、Midwifeと僕が妻の足を1本づつ持って分娩を手伝ったのは得難い経験かも。僕は妹が産まれたときには父親と病院の廊下で待っていたのを覚えているので余計にそう思った。

  • 帝王切開の立ち会い

なんと帝王切開まで通訳として立ち会ってしまった。麻酔の処置が終わってからだったけれども手術室用の服とシューカバー、マスク、帽子をかぶって手術室へ。妻も少しは不安が和らいだようだった。ちなみに、へその緒カットまでさせてもらってその瞬間の写真までMidwifeに撮ってもらってしまった。切った5cmくらいのへその緒ももらっておいた。「そんなの取っといてどうすんの?」と聞かれたので干して記念にするのが日本の習慣だと適当に答えておいたら不思議そうにしていた。へその緒は除菌して乾燥剤と一緒にしてあるけれど、だれかへその緒の乾かし方知りませんか

  • 出産後の身体検査

妻は術後の処置が有ったので娘の最初の身体検査は自分が同行した。体重と身長、体温、心拍数を測るのは良いとして、その後で目に滲みないための薬をどちゃっと入れて、いきなりジャブジャブとシャンプーで洗われてしまった。もちろん大泣き。日本だと最初の1週間は拭くだけと聞いていたのでこれにはかなりびっくりした。そのくせ「今は冬だし顔を除けば週に2回くらい拭けばいいよ」とのことで結構適当。

  • セキュリティ

赤ちゃんは身体検査が終わったら足と腕に名前と認識番号が入ったタグを巻く。母親と父親にも同じバンドが巻かれて、事ある毎にチェックされる。そして母親と子供には腕時計型の発信器(子供は足だけど)が取り付けられて、母と子が一緒でないと病院宿泊区画から出られないようになっている。宿泊部屋にも受信機とランプがあって、子供がそこにいるかどうかがわかるらしい。一番最初に僕が子供を妻の元に運ぶときには、職員の立ち会いが必要で職員カードでロックを解除してもらわなければならなかった。どうも連れ去り事件が後を絶たないお国柄のためらしい。それから父親だけでも連れ出せない。親権問題のこととかが有るんだろうけど、これもお国柄か?

  • 母子同室

4日間の滞在中、別室を希望しない限り常に母子同室。我が子は移動式のベビーベッドにちょこんと入れられて妻のベッドの脇に並んでいる。日本でのことは知らないけれど、妻はとても喜んでいる。

とまぁここまで書いてみて思うけれども、夫としても何とも貴重な体験をさせてもらった1日でした。
写真は手術室へ向かう前の僕、撮影妻。無痛分娩のなせる技?

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Baby!

20070202_1ご報告します。

2月1日に子供が産まれましたっっ!3235g、51cmの女の子です。

Boot Camp終了のパーティから帰ってきて最後の宿題をやっていたら妻の 陣痛が始まって夜中に病院へ。無痛分娩とはいえ難産でかなり時間がかかった上に、最後は帝王切開と大変でしたが、お医者さんからは医学的にみて美しいと褒めてもらって一安心、健康で何にも問題ないみたい。
妻もアメリカに来てからの最重要ミッションの一つをなんとか無事に終えることができて疲労でぐったりしながらもほっとしているみたいだった。

幸い授業のない時に産まれてきたので全て立ち会うことができたのだけれど、出産って本当に大変だなーと実感したのでした。出産に立ち会った夫の方が誕生の瞬間が泣いちゃうと言う話を聞くけれども、その気持ちがわかる気がした。しかも言葉の半分通じないアメリカということもあって常に通訳してたし、絶対立ち会っておいて良かったなと思うのでした。

ちなみに、やりかけの宿題はグループワークの個人担当分を当日の昼に持ち寄るはずだったのだけれども、チームメイトは誕生後に写真をすぐ送ることと引き替えに快く僕の穴を埋めてくれたのでした。本当に感謝。
そして、グループワークも含めた自分のレポートは翌日の期限ぎりぎりにアップロードできたのでした。
これで本当に1月のプログラムは全て終了。春学期が始まるまでの数日は妻と子供の面倒を見るのに費やせそうです。

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2007年1月19日 (金)

翻訳つき

今日は木曜日、と言うことで妻がMITメディカルに通う日である。
今週からボストンは例年通りの寒波に見舞われていて、最低気温が-10度を下回り、最高気温も零下の日が続いている。先週は病院に行くのがプレッシャーだったみたいだけれど、今日は家に帰って話をしても特段困ったこともなかったようだった。

というのも、今回は翻訳サービスを頼んでいたので英語の問題が無かったことが大きい、というか全てだろう。

日本でも僕が今まで気にしなかっただけでやっているのかもしれないけれど、MIT Medicalでは様々な言葉での翻訳サービスが無料で頼める。研究者の家族が英語をしゃべれないケースも決して少なくないようで、そのサポートがどれだけあるかは小さいことだけれども非常に重要だと思う。(松坂投手もRed Soxが家族のケアを非常に手厚くしてくれたことに喜んでいたし)
ただし通訳の人が常時待機しているわけではなくて、質疑応答の時だけ3者での電話による通訳だったそうな。それでもかなり役に立ったようで今日は質問を残さずに帰ってこれたようなのでした。

検診の結果は赤ちゃんは既に骨盤の中に収まっているらしく、後どれくらいかかるのかはわからないけれど、妻はそろそろ本格的に出産準備開始です。

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2007年1月13日 (土)

妻の通院

20070112_212月は世界中で気温の記録更新が相次いだくらい暖かい月だったけれども、1月に入ってもボストンは例年の寒さを懐かしむ話があちこちで聞こえるくらいの陽気が続いている。来週には最低気温が-10度を下回り、最高気温も氷点下が続くような寒波が襲ってくるらしいけれども、この連休までは暖かい日が続くらしい。

そんな陽気につられてか、妊娠の最終月に入った妻も2日に一度くらいは車で買い物に出かけたりと外出を楽しんでいる。しかし妻にも緊張する外出が週に1回巡ってくる。

MIT Medicalへの通院だ。

僕は朝から夜中まで学校にかかりっきりなので、最初の2,3回付き添った後は1人で通い始めたのだが、英語なんて学校で勉強した以外に使うことなど希だった妻にとっては、いくら1年間日本で英会話学校に通ったと言っても、英語でのコミュニケーションが相当なストレスになるのは容易に理解できる。アメリカの大学に10年いる友人でも「いやー、電話は俺でもまだストレスやで」なんて言っているくらいだし、医療制度まで日本と違うとなればもう言わずもがなである。

それでも、もらった書類を辞書を引きつつ読んで、質問事項の文章メモまで作って、わからないことは意を決して電話をかけて(それでもわからないらしいけど)と、かなり頑張っているのだが、昨日の検診について聞いたところ「2勝2敗やった」とのこと。
何でも、通常の検診は問題なく終わったのだが
・小児科の主担当医を何を元にどう決めればいいか
・通訳サービスがあると聞いたけれど次回の検診の時に頼めるのか
いくらゆっくりしゃべってもらっても回答が理解できず、疲れ果てて根気が続かずあきらめて帰ってきたと言うことだった。

今日はたまたま授業の後に予防接種を受けに行く事になっていたのでそのついでに産婦人科に立ち寄ったところ
「あーーー、彼女ね、はいはいはい昨日も来たね、元気にしてる?」
と、既に受付のおばさんに覚えられている。やはり印象に残ったようである。
妻がこれこれこういう事で・・・と事情を説明したところ
「え?なんですって?オーマイガッ!」
そりゃ医者とのコミュニケーションが取れていなかったなんて、アメリカ人の感覚からすると驚いて当然である。結局はなんとか全てクリアになって事は解決したのだが最後には「あんた、次回の検診時に一緒に来られへんの」(もちろん英語で)と聞かれる始末。

ボストンは東海岸でしかも都会だから、中西部の田舎から来た友人に言わせると冷たい人が多いというけれども、どうも妻の場合は「仕方がないねぇ」と言われながらもちゃんと面倒を見てもらえるような関係というか、状況にいるようなので、それでOKなのかなと思ったのでした。

写真は病院の前に植わっていた桜。

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2007年1月 8日 (月)

パパママ準備教育プログラム

今日は朝から妻が出産する予定の病院までセミナーを2人で受けに行ってきた。
おそらく日本でも同じような講習が受けられるんだろうけれども、いきなりグループディスカッションで始まることは無いだろう。
まずはいきなり数カップル毎のグループで出産の善し悪し、不安などを話し合った。
その後で、すごく早口な講師のおばさんが様々な説明をしてくれたけど、自分は専門用語が半分くらいしかわからないし、妻はスピードについていけないしで、結局二人で補い合っても半分くらいしかわからなかった。妻は最後の一時間、「脳みそ沸いてた」らしく寝てしまった・・・。それでも施設の見学もあったし、今月半ばからヘルプに来てくれるお義母さんの助けがあれば、何とかなるだろうと言う感触はつかめた。

日本と違うんだろうなと感じたのは

  • セミナーで通常分娩と帝王切開の生々しいビデオを見せられる。
  • 医者は判断材料を告げるだけで、分娩方法も含めた重要事項は全て自分で決める。間違っても彼らが「○○を選びましたからね」などとは言わない。
  • 陣痛の合間に暖めてリラックスするために風呂に入る。分娩室にはバスタブが用意されていた。
  • 子供用カーシートを持って来ないと退院させてくれない。
  • 34週未満または2500g以下の子供はカーシートにフィットすることが確認できなければ退院させてくれない。フィットしない場合は特別なカーシートがレンタルか購入できる。
  • 入院は保険にもよるが、通常分娩で48時間、帝王切開で96時間しかできない。延長料金は不明だがバカ高いらしい・・・。
  • 出産後、子供に異常が無いことが確認できたらすぐに母親の元に戻され、退院までほぼずっと一緒にいることになる。

2月までには全て終わっているのだろうけれども、期待と不安が交錯するセミナーだった。

夕方からは、グループワークのために学校へ。この土日はみんな休まずに朝から夜中までグループワークにいそしんでいるのでちょっと申し訳なかったが、チームメイトも全員父親なのもあってか、「グループワークなんかより大事な用事なんだから気にするな」と言ってくれてとてもうれしかった。

もっとも「で、そのうち授業中に電話を受けて教室を飛び出していく姿が見られるのを楽しみにしているよ」との言葉にはさすがに笑ってしまったけれど。

でもそのときは多分そうなるんだろうな。

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