2009年7月 4日 (土)

JAM

20090704_jam 数日前、仕事を終えて夜遅くに家に帰ってきてテレビをつけたら1997年のNBA Final、シカゴ・ブルズ対ユタ・ジャズの第6戦を放送していた。
マイケル・ジョーダン、スコッティー・ピッペン、ジョン・ストックトン、カール・マローン。今となってはみんな往年の名選手と呼ばれておかしくない。そして脇役にしておくには惜しいトニー・クーコッチ、ジェフ・ホーナセック、懐かしさがこみ上げてくると同時に自分が歳を取ったと認めてしまわなくてはならない瞬間だ。

そして、紙吹雪が舞う中でマイケルが笑顔でチャンピオン・トロフィーを掲げている姿を見ていたとき、急に頭の中に流れてきたメロディーが、もう一人のマイケル、もう一人のMJ、もう一人のスーパースター、マイケル・ジャクソンのJAMだった。

当時の僕は、彼のダンスを見るためにPVやライブ映像をVHSでよく観た。CDを聞くよりも回数は多かったんじゃないかと思うくらいよく見た。記憶に残っている曲はたくさんあるけれど、その中でもJAMという曲のPVの中でのマイケル・ジャクソンが一番印象に残っている。
バスケットボールの神様、マイケル・ジョーダンと一緒に廃屋の中のコートでボールを負う、子供のような無邪気な彼の笑顔は他で見たことがない。あれはスーパースターではなく、マイケル・ジャクソンという1人の男の素の笑顔だった。

今さら彼について書くのもはばかられるほどに時間が経ってしまったけれど、彼の訃報を聞いて最初に思ったのは、スーパースターとして万人に存在を知られつつも、彼を嫌いだったり、良く思わない人も多かったな、と思ったこと。
僕は人に限らず、物やサービスでも、誰もが褒めている場合はいつも少し疑ってかかることにしている。そういう物は大抵の場合、限られたコミュニティーの中でしか認知されていないか、興味を持たれていない可能性が高いからだ。
だから、多くの人が褒めつつも評価が割れているようなものこそ、手に取ってみる価値があると僕は思っている。

そういうコンテクストにおいて、彼のパフォーマンスは圧倒的に本物だったなと思う。彼のことを説明しようとしても、何かに例えるとか、分類するなんてことはとても難しく、ただただ、マイケル・ジャクソンであるとしか言いようがない。

彼の死を巡る報道では、晩年の人生の影の部分が多く伝えられているけれど、天国ではあのJAMのPVの中で見せたような屈託のない笑顔で楽しんでいることを祈るばかりだ。

黙祷。

2009年2月14日 (土)

Casher's Check ~サインと印鑑~

20090213_ アメリカの銀行を解約してCashier's Checkで送られてきた残金を何とか安い手数料で換金するために、妻が口座を持つ海外の銀行の日本支店がたまたま職場の近くにあったので代理人手続きをしに行ってきたことは前回の記事に書いた。

チェックの裏書きには妻のサインがしてあるし、代理人手続きの用紙には妻の口座印と代理人(つまり自分)の印が押してある。日本のために印鑑がOKだなんてさすが世界に展開する銀行だけあって地域の文化に対応しているのは感心だ。銀行の窓口でそれらをさっと出すと、窓口の人も慣れたもので手続きは順調に進んでいた。

が、手続きの最後に一つ余計に書類を書かなくてはならなくなった。アメリカでの口座は夫婦共同名義のJoint Accountだったので当然チェックの表には夫婦両方の名前が書いてある。なので一方の口座に振り込むことを共同名義人が承諾する書類が必要だと言うことらしい。
承諾書くらい喜んで書く。そもそもそのためにきているのだ。するとそこで問題が起こった。なんと、承諾書には印鑑が使えずサインが必要で、しかも口座を持っていない人は公的書類(=アメリカなら免許証などにサインが入っているのだが、日本ではパスポートのみ)と照合が必要だと言われてしまった。
代理人手続きは印鑑で済ませられるのにといっても、さっきわざわざ免許証を求められ番号まで控えられて本人確認したはずだと言っても、パスポートがない人はどうするんだと言っても、サインの照合が出来なければ受け付けられないの一点張り。パスポートを持ち歩いている訳もないので出直すことになってしまった。

特殊な事例の中のさらに特殊な例なのかもしれないが、ローカライズするならば徹底して欲しい。中途半端にローカルニーズに応えると結局サービスを受ける人がダブルスタンダードに振り回されて、両方に対応しなくてはならなくなる。これは反って非効率だ。ケータイではないけれど物事はやっぱりシンプルでなくては。

この銀行の問題だけではなくて、システムやサービス構築の時には覚えておいて良い教訓だと思う。

(写真は昔に親が就職祝いにくれた印鑑セット。歳に合わせて活躍の場は増ばかりだ)

2009年2月11日 (水)

Casher's Check

20090211_check アメリカに引っ越して真っ先にやったことの一つが銀行口座の開設だった。その理由の最たるものがチェックを切れるようにするためだった。カフェの支払いでさえクレジットカードやデビッドカードを使うことが普通なのだが、まだまだ小切手無しではやっていけない。

実際に使ってみると、多額の現金を持ち運ぶよりは安心だし多少面倒ではあったけれど1年間過ごして何十枚かの小切手を切ったりもらったりしているうちに、それなりに使えるものかなと思うまでに慣れてしまった。仕組みはこれまでも何となく知っていたけれど、実際に1年間、50枚近くもチェックを使ってみるととても良く理解できる。アメリカ生活を通じて感じたことだけど、習うより慣れよとはよく言ったものだと思う。

さて、やっかいなのは日本に帰国したあとだ。最近アメリカの口座を解約せざるを得なくなってしまったのだがこの銀行には日本支店がない。(厳密にはあるけれど個人口座関係では電話で問い合わせさえできない)やりとりに多少苦労したけれど結果としてはオンラインでの簡単な手続きで口座が解約できた。日本の銀行と比べるとあり得ない合理的なサービスに感動していたのだが、口座の残金は当然Cashier's Check(銀行が発行した支払い保証付きチェック)で送られてきたから大変だ。

口座残高が無くても発行できてしまうチェックの性格上、窓口での即時換金は不可能で、どこでもたいてい一回口座に仮入金してからチェックの支払いが確認されて初めて入金が確定する。なので基本的に口座を持っている銀行でしか換金サービスを提供してくれない。(Casher's Checkは銀行の支払い保証付きなのだがそういう細かいサービスはやっていないらしい。)
そして何よりも驚いたのは日本の銀行の手数料の高さだ。アメリカの銀行であれば無料でやってくれるこのサービスになんとチェック一枚あたり5,000円程度もしくは取り扱い金額の半額程度を手数料に取るところが多い。国際送金でもしているのかもしれないが驚きを通り越して換金する気が失せる高さだ。

何とか安くすませる方法は無いかと調べていたら、アメリカでも円をドルに換金するのに重宝していた、とある海外の銀行がチェック一枚あたり1,050円でやってくれるらしいことがわかった。代理人でも手続きOKだとのことなので、口座名義人の妻に書類を書いてもらって行ってきた。

しかしここでは海外の銀行ならではの手続きトラップに引っかかってしまった・・・

(つづく)

2008年1月14日 (月)

スポーツ番組から見たアメリカ文化

20080113_1 まだ雀も寝ているであろう早朝に僕以外の家族が帰国の途に付いた。娘は空港についても寝ぼけ眼で抱いてやってもうっとうしそうにしていたが10日間のお別れだ。次に日本の家で会ったときにはどういう反応を示してくれるか楽しみだ。

年末年始は論文の最終校正と引越でずっとどたばたしていたので、久々に1人になってみると時間が止まったように静かな日曜日だった。今日はホテルからもほとんど出ずに荷物整理やパソコンのデータ整理をしながらテレビをつけっぱなしにしてNFL(アメフトのプロリーグ)のプレイオフを観戦していた。

アメフトはあまりに選手の役割が細分化されすぎているのでプレーしたいとは思わないけれど戦略やチームプレーを楽しむにはうってつけのスポーツだ。試合数こそ少ないけれど大学も含めると毎日のようにどこかのチャンネルで見ることができる。

というわけで、家ではニュースとDiscovery ChannelやAnimal Planetを除けばスポーツチャンネルをずっと見ていた。そこで気づいたのは試合やプレイオフを分析したり予想したりする番組が非常に多いことだ。特にプレイオフシーズンともなると次の試合についての分析番組を延々とやっている。どちらのチームがどういう点で有利か。チームの長所と短所はどこにあるか。今シーズンの戦いぶりを見て相性はどうか。それぞれのチームが勝つためには何をしなくてはならないか。コメンテーターや往年の選手たちが持論を持ち出しては止めどなく議論をしている。

番組を見ていて面白いのは誰もが持論を説明するときに感心するほど大量のデータを統計処理して示していることだ。さらには単にデータとそれを統計処理した結果から単純に予想するのではなく、これらの情報が試合運びや結果にどうインパクトを与えるか、そして相手チームをサポートするコメンテーターの予想に何が欠けていて、何を過大評価または過小評価しているかをまくし立てる。

データは持論を作り上げて正当性を説明するために不可欠なものである一方で、人の営みを分析するモデルやロジックに完全な物は存在しない。だからこそどちらのモデルや持論が確からしいかを延々と議論して、最後は論点となった試合の注目ポイントを整理して、実際の試合を楽しんでくださいという運びになる。

データとモデルだけ有れば誰でも予想できる訳じゃなくて、結局はそれを使う人たちの経験と能力に依存するし、結果は得られたデータを通して検証されなければならない。アメリカ流システムズエンジニアリングのベースとなる考え方をスポーツ番組にも見た気がした。

(写真は滞在しているホテル。キッチン付きでなかなか快適)

2007年11月 1日 (木)

Halloween

20071031_1 今日はハロウィン。既に9月頃から街中にはオレンジと黒のデコレーションが溢れ、スーパーマーケットの入り口近くにはカボチャが山と積まれ、銀行の窓口にまでミニカボチャが飾られていて、どこに行ってもハロウィン三昧。正直に言ってやっと終わりという感じがするけれど、妻は娘に衣装を着せて仲良しグループでベビーカーを連ねてアパート内を"Trick-or-Treat"と言いながら回って楽しんできたようだ。食べられないのに皆どっちゃりとお菓子をくれたらしい。

ボストン近郊には魔女裁判で有名なSelamという小さな街があって、そこには毎年大勢の観光客が詰めかけるそうだ。MIT出身のクラスメートによると過去2年は当日の朝に向かったものの大渋滞でたどり着けずにあきらめて帰ってきたらしく「行くなら前日泊で」と言われたけれどさすがにそこまでする気はない。

とはいえ何もしないのも寂しいので少し前の休日に写真スタジオまで出かけて娘の記念写真を撮ってきた。アメリカで生まれた娘は「御食い初め」はしたものの、お宮参りなど日本式のお祝いはほとんどしていなかった。その代わりアメリカ式に祝えるものは祝ってしまえと言うことで、もちろんベビー服店に並ぶ多くの衣装の中から娘が自発的に手を伸ばした(ことにしている)カボチャの衣装を買って着せたら、娘も楽しそうに写真に収まっていた。写真もさすがプロという出来映えで満足。ついでに親ばか丸出しでクリスマスカード用の切手まで作ってしまった。そういう意味で親としてはハロウィーンは意外と楽しめるものだった。うーん、ついでに白いシーツに顔を描いてお化けになって娘と一緒に写真に収まるべきだったかも(笑)

ちなみに日本でも「一年中クリスマスな店」が有るけれど、こちらには「一年中ハロウィンな店」が有る。その店は家族でたまに行くモールの中に入っていて前から気にはなっていたので立ち寄ってみたところ、僕の持つハロウィンのイメージと違ってどちらかといえばパーティコスチュームの店だった。ハロウィン用には大人向けの衣装も多くて、魔女はもちろんゾンビとかドラキュラ、フランケンシュタインなどそのままホラー映画に使えるようなものが多い。東急ハンズのパーティーコーナーをかなりリアルにホラー化した空間とでも言えばいいんだろうか、娘はまだ怖いと思う年頃ではないにせよ、こんなところで買った衣装を着て娘と一緒に写真に収まる気はしない。

家に帰って調べてみたところハロウィンはもともとケルト民族の収穫祭に端を発して、この日は死者の霊、精霊や魔女が街に降りてくると考えられていたので魔除けのためにカボチャ(元々はカブらしい)をくりぬいて顔を付けたりたき火をするようになったらしい。日本の盆にも似ているけれど、死者の霊は恐ろしいものと言うあたりが面白い。輪廻転生を信じ、御先祖様の霊を奉る日本のような仏教社会との違いが如実に出ている気がする。(宗教も何も関係なくクリスマスやハロウィンを楽しんでしまうのも典型的な日本人か。)

いずれにせよハロウィンのイメージは本来が気持ち悪いものということなので、子供服の店で売っている、かわいくデフォルメされた衣装にも蜘蛛、虫、蛸、魚などのいまいちなやつが多かったのも納得だ。娘がカボチャを選んでくれて良かった。

ちなみにこのカボチャ衣装には何故かガクがある。本物のカボチャには無いけれど他の店やWebで見るカボチャ衣装にもちゃんとあるので単なる間違いでは無いらしいけど、僕にはどうしても柿にしか見えない。

そうそう、10月に入ってすぐに娘はつかまり立ちが出来るようになった。最近は立った後に手を離して自分で立とうとしてこける(けど楽しそう)。はいはいも高速化が進んでますます目が離せない。

2007年10月 3日 (水)

仕事と育児

20071002_1 夏学期が終わる直前に子供を産んだクラスメートが学校に子供を連れてきた。生まれてまだ一ヶ月も経たない子供は本当に小さくて、つい半年前に自分の娘がその状態だったことが信じられないくらいだ。
そして開口一番言われたことが「新生児の面倒を見ながら授業を取るのは本当に大変。自分はどうしてやってこれたのか教えて欲しい」だった。

僕の場合は妻がフルタイムで娘の面倒を見ているので、一日に1~3時間、妻の手に余る分だけ面倒を見ていればいい。しかし彼女は母親(しかも初産)と学生とを1人でこなさなければならないので負荷は2倍だ。出身もアメリカではないので両家の家族は基本的に海外に住んでいるらしい。いくら授業数を減らして遠隔授業を家で受けていると言っても、出産直後から学校に戻るというのはなかなか出来ることではない。その体力と頑張りには敬服するばかりだ。

アメリカでは歳を取ってもフルタイムの専門職で仕事を続ける女性が決して少なくないけれど、実は子育て環境は日本と比べて充実しているかというとそうでもない。むしろ日本の方が手厚いんじゃないかと思うくらいだ。良い点はベビーシッターが見つけやすいくらいで、聞くところでは育児休暇は3~6ヶ月が限度。もちろん短いからと言って政府から金銭的な支援が有るわけでもない。日本では取りにくさはあるにせよ1~2年は休めるし、託児所を設ける大企業も出てきているなんて話しをするとすごくうらやましがられる。

それでもやっていけるのは知られているとおり再就職や転職が当たり前の社会だからだ。4人の母であるクラスメートも、3人目を産んだときに仕事を辞めて、4人目に手がかからなくなってから新しい仕事に就いている。働けない状況になったらやめて、働ける状況になったらまた仕事に就けばいい、そうやって40歳を過ぎたエンジニアでも子育てが終わったらまた自分のしたい職業に着ける機会があるのはいいことだ。

もちろん世の中そんなに簡単ではないのでシビアな競争を勝ち抜いた人だけが戻れるわけで、柔軟性と機会の平等の対価はきっちり求められる。なので今日も彼女は子供を横に寝かせてスクリーンの向こうから授業に参加している。

2007年9月27日 (木)

State Quarter

20070926_1 アメリカでコインと言えばQuarter, 25セント硬貨だ。自動販売機やパーキングメーターはクォーターしか受け付けないものもまだまだ多いし、常に何枚かは持っていないとふとした拍子に困ることがあるくらいだ。車の灰皿にも常に入れている。

そしていつだったか不思議なことに気がついて少し調べてみたところ、この硬貨の図柄はなんと現在40種類を超えている。手にする硬貨毎に全然違う図柄だったりするので面白い。

何故こういう事になっているかというと1999年から10年かけて毎年5州ずつ州独自の図柄を持ったクォーターを発行する50 State Quarter Programが進行中だからだ。発行の順番は合衆国の前身であるUnionに認められた順番で、Delaware州に始まって来年の夏にHawaiiで終わる。誰が考えたのか知らないが、お金の無駄遣いとはわかっていても、なかなか面白い取り組みだと思う。各州の独立心が強いアメリカでは好まれそうなアイデアだ

それぞれの図柄は造幣局のホームページで見られるのだけれど、せっかくアメリカにいるので気づく毎に1枚ずつ集めてみた。今のところ発行されている43枚のうち、39枚が手に入った。それと何故かよくわからない硬貨も一枚・・・・。
図柄は州政府が決めるらしく、それぞれの州の独自性を出してあるらしいけれど意外と保守的というか特徴が無いものになっているコインが多い。牛とコーンとか、山と川とか、ギターとか、まぁ特産物だったりするんだろうけれど確かに州民の創意が取れるような図柄ってなかなか難しいのだろうと思う。その州が持つ山とか鳥とか花とか、自然にあるものに対してネガティブなイメージを持つ人はいないとしても、カリフォルニア州がHollyWoodの図柄を入れようとしたら怒る人いっぱいいそうな気がする。アラバマ州のヘレンケラーとか、インディアナ州のインディーカーでぎりぎりの線かも知れない。

日本でも47都道府県独自の10円玉とかあったら面白いと思う。日本だったらどうなるんだろうか。大阪なら太陽の塔?お好み焼き&たこ焼き?道頓堀の風景?箕面の猿?考えてみると暇つぶし以外の何ものでもないけれど面白い。

ちなみに宇宙に関係するコインは2つ。1つはもちろんSpace Stateと呼ばれ、ロケットやスペースシャトルの打ち上げが行われているフロリダ州、そしてもう一つは意外なことにオハイオ州だ。なんでもアメリカで初めて宇宙飛行(弾道だけど)に成功したJohn Glenn宇宙飛行士と人類で初めて月面を歩いたNeil Armstrong宇宙飛行士の出身地であり、おまけにライト兄弟の片割れの出身地でも有るらしい。なのでコインには宇宙飛行士とライトフライヤーが描かれている。

と、こうやって図柄を元に色々と調べてみるのもアメリカを知るいい機会になっていたりする。これがなければWyoming州なんて知らずに日本に帰っていたはずだ。

写真はマサチューセッツ州のコイン。州の形の上に独立戦争時に活躍した民兵minuitmanが描かれている。デザインの原型は公募で採用された小学生によるものらしい。

2007年8月26日 (日)

カーナビ

僕はカーナビが好きではない。地図を読むのが好きという理由もあるが、一番大きな理由は単純で必要以上に沢山機能があるし高いからだ。1000円の地図が有れば大体は事が足りるし、万が一に道に迷ったとしても辺鄙なところであれば地図上で見つけやすいし、そうでなければ携帯GPSという手もあるし、最後にはコンビニにでも立ち寄って道を聞けばよいからだ。お店検索にしても事前に計画を建てるのが普通だったし、何なら携帯で事足りてしまう。

しかし、ボストンではカーナビを買ってしまった。
一つめの理由はもちろん必要に迫られたこと。ボストンは町並みが古く道が狭いので一方通行がとても多い。しかも日本の道路と設計思想が違うので何度も迷ってしまった。東に行きたいのにいったん西に行かされて、途中で分岐したと思ったら、ぐるーっっと円を描いていつの間にか東に向かうなんて事も度々だった。しかも日本みたいに交通標識が沢山出ているわけではなくて、道の入り口に小さーーーく通りの名前が書いてあるだけなので、夜はほとんど通りの名前が判別不能である。
それに加えて、妻が「英語で道を聞くなんてよーせーへん!」と言い出したので機は熟した。

20070823_1で、調べてみると米国ではハンディGPSで日本でもおなじみのGARMIN社を中心に安くて小さいカーナビがごろごろ出ていた。値段は$200~$600で、売れ筋は$400前後といった感じだった。これなら買ってもいい!と思って2月頃にAmazon.comで$385で購入したのがこれだ。

 

音声案内からお店検索も含めて大体の基本機能は揃っているし、車から取り外してハンディパーソナルナビとしても使えないことはないのだ。もっともこれは防犯上の理由から外から見えるところに金目の物を置かないよう、駐車時には車から取り外してダッシュボードの下のコンソールに入れておくという使い方をするためだけれど。こんな感じで車に乗せていて、こんな感じで取り外して使える。
20070823_2   20070823_3

もちろん安いだけあって、操作性はあまり良くないし、ルート設定も賢いとは言えない。設定したルートを事前に確認するような使い方には難があったりするし、かゆいところに手が届かない事も事実。それでもコストパフォーマンスと、カーナビにどれくらいお金をかけていいかを考えると魅力的だと思うし、日本語地図をインストールできないとわかるまでは本気で持って帰ろうかと思っていたりした。

こういうカーナビが日本でも発売されれば買うのになぁ・・・・と思っていたら最近日本でも売り出されたようで。

これは察するに、記録媒体がDVDやHDDだけじゃなくてフラッシュメモリでも可能になってきた事が大きいと思う。有る意味Technology Disruptionが起こっているわけで、高機能高付加価値を競うマーケットしかなかったカーナビ市場に、そこそこの機能と性能で小型ポータブルというセグメントが出来てきて、既存の大手メーカーがどういう対応を取るか見物である。

20070823_4 最後におまけ。道を走っているとこんなナンバーが・・・・アルファベットが使える米国ならではだ。

2007年8月19日 (日)

たこケーキ

20070819_1 本当にどうでもいいことだけれど、インパクトに負けてしまった。
まず、蛸の形をしたケーキっておいしそうか?

しかもお手本写真、蛸って青か?

というか、その濃い青は何だ?

本物の蛸を食べない人たちの発想の柔軟さとこの国のセンスに驚かされるばかりである。
アメリカに住んでいれば、これくらいの色のケーキはそんなに珍しくないわけで緑や青を始めカラフルなクリスマスケーキを経験しているし、お店に売っている子供用シリアルもm&m'sみたいな色しているのだけれど。

自分のことは自分でするのがこの国の基本だけれど、コスト第一主義のこの国では食の安全については、多くの人が無関心なんだろうか、それとも安全な物しか使っていないと信用しているのだろうか・・・

いや、やっぱり何よりアメリカ人がポスターカラーのケーキを食べたいと思うのは何故なんだ?

2007年7月 6日 (金)

iPhone

20070705_1 持ってみると見た目以上にずっしりと重かった。そして画質と操作感がすごくいいというのが触ってみた最初の印象だった。クラスメートのうち誰かは買うだろうなと思っていたら、ある授業でチームを組んでいる一人が初日に買ってきたのでさっそく触らせてもらったのだ。iPhoneがどんな電話かについては日本のメディアでもかなり詳しく報道されているので割愛するけれど、単にiPod+PDA+電話というものではなくて、はっきり言って触っているだけで楽しい。

授業の合間の休み時間には他のクラスメートもよってたかって触っている。「お、お前iPhoneから電話受けてるやん、いいなあ。」と言われたけど、それは絶対興奮しすぎでiPhoneに呑まれている。受ける側には何のメリットもない事だけは断言できる。

さて、僕は以前からPDAを愛用していて、以前はiPhoneに似ているとも言えないこともないシャープのZaurus A300を利用していたところ、ネットワーク機能が欲しくなってiPhoneの隣に写っているSL-C760を会社の先輩から無期限で借りている。OSがLinuxと言うことでネット上で沢山フリーウェアが見つかるのでかなり気に入って使ってはいるけれど、発売から4年経っていることとPDA市場自体が携帯や小型PCに押されてもはや死に体なだけあって徐々に使い勝手が悪くなってきているので、iPhoneと比べると否が応でも時の流れを感じさせられる。

iPhoneのソフトウェアキーボードはバスケットボールが持てるくらい大きな僕の手でもタイプしやすいし、YouTubeもすごく綺麗な画質で見られるし、Google MapにGPSナビが付いているし、カメラも思った以上に良く写るし、インターネットもWiFi接続でさくさく使える。

思わず欲しくなってしまったけれど、電話回線の契約をしないと使えないし、日本語入力出来ないし、APIが公開されていないのでiTunesで買う以外ソフトウェアを増やせないし、バッテリがへたってきたら郵送しないと交換してくれないし冷静に考えるとやっぱり買わないなと思ったのでした。

日本では携帯キャリアとの交渉に手間取るはずなのでしばらく発売される見込みはないと思うけれど(とある授業では日本ほど”邪悪な”通信市場はないと酷評されていたし)シャープならA300とAQUOS携帯を元に多少ユーザーインターフェースはおおめに見ても、いいもの作れると思うんだけどなぁ・・・・無理か。

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